よくない収拾方法 「論旨付け替え」「摩り替えトーンダウン」「泣く」
↑発端
わたしが今回ブログで、岡田斗司夫問題を書いて「女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも」それぞれこの問題に対する責任の所在があると書いたら『若い男性たち』から大バッシングを受けました。
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
わたしは男性に「女の子をお姫様扱いして大事にしろ!」なんて言うつもりは毛頭ない。責任は、目の前にいる異性をちゃんと等身大の存在として認めないことにある。女だって苦しんだり悩んだりするし、そして当然男だって同様だ。それをお互い理解しようよ。お互い理想ぶつけあってどうすんだよ。
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
どうして「同年代の異性が相互理解しないことが、モンスターのようなオッさんを生んでいるんだ」に対して「女はこれだから低能」とか「男に求める理想が高すぎるんでは」という答えになるんだ。その対応こそが相互理解から離れていってるんだろうが。お互い生身の人間で、個性があるって認識してくれよ
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
わたしの日本語能力が拙いのは解る。うまく表現できていないのも解る。しかし男性のそういう態度はお互いの理解から離れる要因だよ。男性は童貞をこじらせて、女性はバッシングしてくる同年代の男から逃げてオッさんに行く、っていう図式なんだよ。それをわたしのコメ欄で体現してどうすんだよ。
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
いや「拙い」とか「うまく表現できていない」とかではなく
あなたはあのブログ記事で若い男性たちについてこの連続tweetのようなことは一切書いていない。
同年代の男の子たちと(もちろん特定の層ではあるが)とたくさん出会い、話すにつれて、いかに受け身なのかを痛い程知った。
責任の所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。
だけ。
長々としたオッサン先生との文通&よろめき体験開示のあとに
突然「若い男に責任ある」「あいつ等が受身なのが悪い」と言い出しただけである。
一応2回読み返したが
どう読んでも
「同年代の異性が相互理解しないことが、モンスターのようなオッさんを生んでいるんだ」
にあたりそうな内容が当該記事にはない。
(特に”相互”の部分が。)
女だって苦しんだり悩んだりするし、そして当然男だって同様だ。それをお互い理解しようよ。お互い理想ぶつけあってどうすんだよ。
これもブログ記事の中には無い。
表現が拙いのと「無い」とは全く違う。
主張の当否以前のこととして
主張内容の摩り替え・付け替えは不毛だからよろしくない。
今の20代は、男性でも女性でも窮屈で面倒なことがたくさんある。働くのも家庭も恋愛も一筋縄ではいかないし、貧乏だし、いつ転落するかも解らない。なのにお互い首締めてどうすんだよ。慰める役割をどっちかだけに押し付けんのやめようよ。お互い辛いときは辛いっていって言えば良いよ。見栄張るなよ
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
一旦攻撃的なことや誰かへの批判を書いたら突っ張るか撤回するかであって
どちらもしないままなぁなぁで融和的な感じに付け替えたりするのは誰も得しない。
こういうのはこの人に限らずよく有る仕草だが感心できない。
当初の軌道で「受け身な同年代男」批判などガンガン書いたほうが意味がある筈だ。
サークラでしたって名乗ってブログ書いている時点で反発受けるのも解ってるし、askもブログのコメントもわたしが悪いなあと思っていたけれどなんか今回珍しく自分のなかで限界点を突破してしまい、ものすごい感情的になっている。今。具体的には意味解らんくらい号泣してるよ。何に泣いてるんだろう
— 鶉まどか (@uzuramadoka) 2015, 1月 13
泣いたアピールやメンヘラアピールを始めるのも論外である。