ここはお前の日記帳

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その茶番に価値はあるか

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 率直に言って非常にレベルの低い茶番だと思うけどそこを一旦措いて。


1.せめて論破出来るような藁人形を作れよ

 ”コーフィー氏”のインチキに乗った上で話をチェックしてみよう。
一体これはなんなんだろうか。


 ”コーフィー氏”の立場は要するに、「トランスジェンダーなんて奴等を認めないぞ」ということだ。トランスジェンダーなんて奴等を認めないので、ジェンナーのカミングアウトの意義も認めず、あんなものは勇敢と称える値打ちは無いぞと言ってる。 で、その代わりとして「米兵こそが勇敢である、彼等を称えるべきだ(画像ポイー)」と。
 支離滅裂だ。


 これだけ支離滅裂な奴を設定しながら、しかもそいつを論破出来ていないと言うのがこの茶番のすごいところだと思う。


 ”コーフィー氏”は米兵の画像を貼るつもりで誤ってフィギュアの画像を貼ったという。これ別に”コーフィー氏”の論陣を少しも毀損できてないんだよな。滅茶苦茶極まりない論陣なのにさ。
 「フィギュアの画像をそれと見分けられずに貼りよった。アホちゃうか。目ぇ悪いんちゃう。ばーかばーかかっこわるぅ。」ってやってるだけ。


 これだと”コーフィー氏”はその主張と関係ないミスをしてるだけだ。自作自演藁人形するにしてもせめてきちんと論理を立てて差別に対する反論をぶてなかったもんか。「間違えてフィギュア貼りよったやーい」がパンチラインじゃ完全に小学生の喧嘩じゃん。


2.話の流れがおかしいだろ

 米兵画像のつもりでフィギュアの画像貼った視力の悪い反トランスジェンダー闘士の”コーフィー氏”、自分のそのアホっぽいミスに気付いた途端ガガーンと脳がきれいになったらしい。突然そのフィギュア作者の身の上を滔滔と説明し、異性装者であるフィギュア作者を讃え、ヘイトクライムに反対し、神の御名において差別NOを叫ぶ。


 …これ、自分で「ストーリーがなんかおかしいな」とか気付かなかったのか。
 なんで自分の貼った画像がフィギュアだと気付いた途端にトランスジェンダーに対する蔑視が消え失せるんだよ。
 フィギュアの作者について知っても「へえ、オカマ野郎がシメられたのか。気合を入れてもらって少しはキモい趣味が抜けたんじゃねえの」っていうのが”コーフィー氏”だろうに。彼の立場は「トランスジェンダーなんて奴等を認めないぞ」なんだからさ。


 トランスジェンダーのジェンナーに対して存在も行動も認めねえぞと絡んだはずなのに、次の日には異性装者へのリンチに心を痛めて「憎悪は何の役にも立たず、愛はだれも傷つけず」と言い出すってどんな展開だ。こいつは一体どの瞬間に異性装者への共感を身に着けたんだ? それが全く欠落した奴だった筈なのにさ。


 こっちで無理矢理理屈を通してあげるなら例えばこうか。
 この”コーフィー氏”は問題の米兵画像に痛く心を動かされていて、異性装者の手になるフィギュアだったと気付いてもその感動が揺るがず、「これだけパトリオット精神を理解し表現出来る奴ならば立派なアメリカ人に違いない。俺の大嫌いなオカマ野郎であることすらこのスピリットの前では些細な欠点だ。俺達は星条旗の下では兄弟ではないか。ようし、オカマ野郎も人間に見えてきたぜ」と。
 

 まあ「急いで画像検索して選んだ」っていう設定(偶然あの写真を選んだ不自然さの言い訳の為の)のせいで、あの写真に強く感動したっつうこの解釈すらも無理なんだけど。


3.基礎設定がミスっている

 何故”コーフィー氏”を論破することに失敗したかと言うと、論陣をシンプルにしすぎたからだ。「トランスジェンダーなんて奴等を認めねぇ」という直球の立場は論理としては逆に強固だ。前提無しの「認めねぇ」は滅茶苦茶だが頑丈さを備える。


 皮肉による論破が好きなら”コーフィー氏”の主張はせめて何か1段前提のある「〇〇だから△△」程度の論の構えにはしておけばいいものを、その程度の判断すら出来ない低能がこれをやっている。
 やられ役として論陣設定・キャラ設定に失敗しているので、いきなり自爆し突然改心し神を称えながら「皮肉に意味がある」「ヘイト反対!」と叫びだすヘイト野郎といういかれぽんち極まりないキャラを生み出してしまった。 
 (これ百歩譲って自作自演の茶番じゃなかったとしたら、コーフィー氏ただの危ない奴やんけヘイト以上に。思考がブツ切れで突然180度逆のこと言い出してそこになんら論理的な転向の軌跡が無い。君子豹変すとかとは全然違う。)


4.意味あんの

 それで聞きたいのは、こんなのに何の意味があるかってことだ。これやった奴(等)は今頃すごく得意満面で鼻フンフンしながらしてやった気分なんだろうし(或いはダウト掛けられ始めてちょっと青くなってるかもしれないが)、これを持ち上げる人達もなんか非常な快事のように取り扱ってるけども、これほんとにポジティブな効果あんのか?
 ジェンナーの行動は間違いなく大きな効果があるが、”コーフィー氏”の茶番はむしろそれを汚すぐらいのものだと思う。


 ちょっと頭が動く人間ならば出来の悪い茶番に気付いて悪印象持つし、比較的無思慮な宗教右派みたいな層も自分達の偽者は見分けるから「卑怯な連中だな」って敵意を新たにするし。 

 

5.勇敢な人とゴミとが分別されますように

 ジェンナーは自分の肉体と社会的立場とをメディアと社会の前に投げ出してみせた。すごいことだ。まさに逃げも隠れもせず、身の守りを捨てて、しかも誰のことも攻撃していない。勇敢と称えるのに少しも不足が無い。
 ”コーフィー氏”はどうだ。出来の悪い筋書きとグダグダな設定の欺瞞に隠れ、「俺達の敵がかっこ悪いミスして謝るハメになりよったー」という小学生ストーリーで憎悪と攻撃への欲望を満たしている。勇敢さは微塵もなくただ不潔で、しかも勇敢な人をダシにしている。