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高畑淳子の会見は個人としても社会的にも正しい

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純粋に高畑親子の件で言えばこの田房さんの論旨にはちょっと頷けない。


あの会見をしなかったら何がどうなったと?

そもそも高畑淳子が会見をする前から高畑親子が大打撃を受けることは確定してるし社会もそれを知っている。高畑裕太は演劇の道や芸能界で生きる望みは断たれたし、5年ぐらい刑務所に入る。母も姉も日本1有名な性犯罪者の家族として顔を伏せて生きていかないといけない。


あの会見に臨んだ高畑淳子の胸の裡を推測する意味はないが、仮にあれを非常にクレバーに功利的に演じてたのだとしても、あの会見で得られた”利益”は自分への同情と理解を得ること、それによって少しでも自分と娘への余波を減らすということであって、それは犯罪者の家族の権利だ。


少なくとも「裕太が強姦したのはしょうがなかった」とか「裕太のせいじゃない」とかそのようなことは言っていない。

 結局この会見は、24時間テレビとか裕太が「仕事で」迷惑をかけた人たちへの謝罪会見でしかなかった。

被害者についても言葉を重ねていたと思うが、もっと全編被害者に向けた言葉にすべきだったと言うことだろうか?あの会見はマスコミに請われてマスコミ相手に話す席なのに?


あの場で被害者に語りかけ出したらそっちの方が怖いし不適切だし、もしそんな会見だったら田房さんのような人はいよいよ怒ったんじゃないだろうか。


加害者家族・高畑淳子の会見は性犯罪被害者に不利益を与える?

そうだろうか?
高畑親子はむしろ加害者とその家族のモデルケースになったと思う。
変な言い方だが、高畑裕太ほど当人・家族が大ダメージを受けた強姦者はそう居ない。
強姦の下手人はどれほどの報いを受けるのが相場なのか、というイメージを世間に刻み込んだと思う。


同様の被害にあった人やその関係者・弁護士は本件に後押しされて心置きなく厳しく訴えることが出来そうだが。「高畑親子のケースに見る相場に比べ、本件の加害者はまだ全然裁きが足りない」という風に。


そもそも、ある犯罪の加害者やその家族が厳しい報いを受けて苦しむ姿を世間に周知するのは、むしろ古来からある即物的で有効な治安維持の方法だ。その犯罪を軽く考えてる人間が多い時には特に効果がある。「10両盗んだら打ち首になるんだぞ」と広報され実際に下手人の切断された首が晒されれば、窃盗を軽く考える人間は激減するだろう。


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(画像は「麻薬に触ってそうな疑いがあるだけで裁判無しで射殺されるんだぞ」と実際に市民に路上処刑と死体を見せまくって治安を回復した「ダバオのジャッジ・ドレッド」ことドゥテルテ比大統領。)



このような晒し・引き回しの効果は犯罪被害者の立場を有利にする方向へ作用するものであるから(犯罪加害者の権利を軽視し過ぎてるのが問題だが)、

 加害者の家族がどんな風に苦しむのかを映像でハッキリと見せつけられてしまって、これから先、性犯罪・性暴力の被害に遭った時に、遭った人が、この会見の映像や高畑淳子の様子を思い出して通報を躊躇ってしまうことになるのではないかとも思う。

これははっきり言ってかなり論理を捻った上での難癖であろう。


頭悪くない人がねじくれた論理を弄する時というのは噓ついてる時か感情的になってる時で、田房さんはおそらく後者だろう。つまり、この人の言ってることの正味は「被害者は何も語れないのに加害者サイドばっかり苦しみを世間に表現する機会を与えられてて不公平に思うし不快だ」という憎しみや恨みの感情じゃないだろうか。

だけど、本当に、性犯罪の卑劣さを理解していて、被害者もこれから同じ世界で生きていくっていうことがどういうことか分かっていたら、本来、会見はしなくていい、するべきじゃなかったと思う。

結局「卑劣な性犯罪者の家族の分際で世間にペラペラ喋る機会を得てんじゃねーよ」という抑えきれなかった怒りなんじゃないのか、これは。


そうであれば、その感情を、捻った論理の難癖の形で噴出させるのは間違いだし、持ち出す機会の選び方も違うと思う。


「見つめたくない」から性犯罪の根源を扱わない?

 そして、母親に容疑者のもともとの特徴や、性犯罪の兆候などを聞きたがったり、容疑者の性格の“異常性”をことさらに語ろうとする記事がバンバン出てくるのは、「私は加害者になったり加害者の親になったりすることはない」と思いたい、安心したいという心の現れだと思う。

この件に関してはそんなんじゃなくて、「捕まる前から裕太はヤバかった」っていう話題があるからだよね。
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ドラマの共演者はじめ複数の女性芸能人からの「すぐ体を触ってくる」「嫌い」「セクハラがすごい」のようなコメントが発掘されてて、当時はそういうのが「仲のいい間柄のじゃれあい」「調子いいイケメンが振られてて面白い」みたいな処理でバラエティコンテンツになってたけどあれ実はシリアスな危機感や不快感を持ってSOS出してたんじゃないのか、みたいな。


だから報道は「アンタの息子普段からヤバかったんじゃないの」「アンタもそれ気付いてたんじゃないの」「芸能界入る前に問題起こしたことあるんじゃないの」って聞いてたわけ。


あの場で親に聞くのは悪趣味感の方が強いけど(バラエティネタにしてきたテレビ局にも聞け)、セクハラや不快行為を「ネタ」みたいに看過してきた結果が強姦なんじゃないのか?っていう、むしろ性犯罪の根源を(環境の共犯者性含めて)掘ってる質問だったりする。

 性犯罪・性暴力だって専門家達が研究してるのに、なかなかそういう話にならない。性犯罪・性暴力は、自然災害以上に、どうにもならないもの、みたいなことになってる

そもそもワイドショーっつーのは、きちんとした専門家を読んでてきて最新の研究成果を発表させて物事を科学的に究明していくようなもの……ではないと思うが。性犯罪に限らず。

 今こそ、普段、黙らされている性暴力被害者がどういう目に遭っているか、どんな風に裁判が行われるのか、どのように性犯罪はもみ消されているのか、被害の実態、その恐さ、そして性犯罪・性暴力を起こす人たちの実態、更正についてなどをテレビで流すべきなのに、ぜんぜんやらない。たぶんそこは、地震の恐さよりも見つめたくないものなんだと思う。 

「見つめたくない」っつーか、単純にそれ流したって視聴率取れないだけでしょう。被害者サイドだけじゃなく加害者サイドだって、「あの高畑親子の転落」だからコンテンツになってるだけ。


田房さんの主張するように「ワイドショー視聴者が自分に起こりうる脅威を見たがってない」ならば不倫ネタとか原発ネタとかがあんなに数字取れるわけない。


ワイドショーとはそういうもの。
もう言ってることが完全におかしい。

まとめ

この人の問題意識は「黙らされている性暴力被害者」に集約されるのだろうし、それ自体はどこからも何の文句も付かないものではあるけれども、少なくとも今回の高畑淳子の会見に寄せた当該コラムは完全に理屈がおかしい。


社会的弱者を背負う人の言うことであっても、その問題意識が重要なものであっても、理屈や持ち出す場所がおかしいときは話自体もおかしい。
おかしいものには突っ込まないといけないのでこんなものを長々と書いた。








あと…

ドラマに出てる高畑淳子大大大大大好きで、高畑裕太も、出るドラマごとに別の人みたいになるタイプの俳優だなーすごい才能だなーって思ってたから好きだった。

実はここに1番びっくりした。
個人的にはどっちも全然大した役者に見えねー。