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狼少年はそういう話ではない

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それまでにウソばかりつくほうが悪い、うんそうだね。ウソをつく子が救われる物語は教育にはあまりよろしくない。でも「オオカミが来た! 本当にオオカミが来たよ!」に知らんぷりしてしまう村人さん側も性格が良いとはいえない。本当にピンチのときには助けなきゃ。「村八分」にも残りの二分があるわけだし。
「あいつは○○だから」という偏見に凝り固まった村人にも、しょうがないにゃあと助ける気分を持たせる言葉がきっとある。

え?何言ってんだ?



村人は狼来襲に気付いていたのか

Q.何故村人達は少年の狼警報を無視したのでしょうか?
A.少年にムカついてたので少年が狼に食われればいいと思って知らんぷりをした。

ってこと?
どこの狼少年だよそれ。



Q.何故村人達は少年の狼警報を無視したのでしょうか?
A.何度も嘘をつかれていたので今回も嘘だと思ったから。

って話でしょ狼少年は。



何故あんなシンプルな話すらこんなにナチュラルに間違って読解してるんだろうか。そして何故誰もこの変な読解に突っ込めないのだろうか。
アホを見てるとイライラする。


前提1.少年は情報優位にある

大体その読解なら、村人達はどうやって「今回は本当だ」とか判断できるんだよ?
狼来襲に関して村人達と少年とに情報格差がないなら、そもそも少年による偽警報に振り回されてないでしょ。その前提すら理解してないならお話が成り立たないじゃん。
少年は村の外周部に住んでるかしょっちゅう木に登ってるかして、村人達より狼に関して情報優位があったんだよ。



前提2.食われるのは少年ではなく羊

ここまでの状況設定を踏まえて論理的に考えるなら、この話の帰結はわかるはず。
村人は何故狼警報のたびに血相を変えて出てきたのか?
財産である羊を守るためだよ。
だから本当に狼が来てるのに村人達が狼警報を無視してしまった場合はどうなるかと言うと、村の羊が狼に食われてしまう。
イソップ童話ではもともとそういうオチ。村の羊が全部食われました。おわり。
人間が狼と戦うのは何のため?→そりゃ家畜守るためでしょ
という基本的な感覚がないと、狼が人間食べに来てると思うのかもしれない。



ところで少年が狼に食い殺される結末はどうも日本で作られた改変バージョンらしい。
日本では狼は家畜の敵として駆除されたのではなく、主に狂犬病やジステンパーによって減少し駆除されたので、狼=人を噛むやつになっていて、少年が食われるイメージになったのだろう。
現代日本人はイソップバージョンを記憶してる人と改変バージョンを記憶してる人とがいるため、狼少年の結末について話をすると食い違いが生じたりする。



しかしどっちバージョンにせよ「村人が「今回は本当」と知ってて知らん振りした」という読解は論外だ。小学生でも読める童話を誤読解しないで欲しい。イライラする。


まとめ

というわけで、村人達も本当に狼が来てるとわかってたら出動してました。
だって羊を守るためだからね。

助ける気分を持たせる言葉がきっとある。

少年助けるとか助けないとかの話じゃないわけ。自分の財産防衛だから。

本当にピンチのときには助けなきゃ。「村八分」にも残りの二分があるわけだし。

この人は村八分の残り二分の意味も理解してない。
二分は「火事の消火」と「葬式」。
これだけは手伝う。何故か?
その2つは収拾つけずにほっといたら村にまで害が及ぶ(延焼や疫病の発生)から。
「本当のピンチは義侠心で助ける」とかいう大長編のジャイアンみたいな意味じゃねーよ。

「あいつは○○だから」という偏見に凝り固まった村人にも、しょうがないにゃあと助ける気分を持たせる言葉がきっとある。

少年が憎まれたことが問題ではなく言ってることを全く信用されなくなったのが問題なのでこれはもう土壇場のリカバリーは難しい。
「火事だー!」とか普段と違うことを叫んでみる手はあるけどいつもの愉快犯のバリエーションだと思われたら効果は薄い。つまりこの状況では自分が信用されてなくても人を動かせる言葉を捜すべき。
そこで最後の冴えたアイデアとは、村総出で堪忍袋の緒をぶちきって少年をリンチしに飛び出してきたくなるようななんかおぞましく冒涜的なことを喚くことぐらいじゃないかしら。