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子を持つ持たないについての理性的判断とは

ninicosachico.hatenablog.com
産むか産まぬかは当人の勝手、周囲の人間は黙っとけ。
という点は賛同しますがそれとは別に読んでいてとても気になる点がありました。
理性理性と繰り返すこのブログの書き手が全く理性的でない点です。
具体的に引用しながら少し考えてみたいと思います。


理性的判断の例

まず理性と呼んでいい判断の例。

「もう一人欲しい」という女性も「でも経済的に厳しい」という理性の判断で産むのを諦めたり

この諦めは理性の判断とみていいでしょう。
1人目の子の養育費と収入を突き合わせ、2人目のお金は捻出できないなと結論する。
これは理性です。
支出と収入は事実として確かめることが出来ます(まあ未来予測は混ざりますが)。

これは理性ではない

一方、書き手自身の話の部はほぼ全部非理性的です。
そしてこの人はどうも自分の非理性的な部分を出すときほど理性だ理性だと連呼します。

でも日々生きていて色々な世の中の汚い面に触れる度に「こんな産み育て難い世の中で産みたくないよ」と思うことが多々あります。
この判断は理性によるものです。

この判断は理性ではありません。
論拠が何らかの確認できる事実ではなくポエムだからです。

でも、今の世の中どこに行っても妊婦や乳幼児連れや子供を取り巻く環境は酷く殺伐としていて、
子供がいるメリットなんて正直「子供が可愛い」くらいしか見出せません。
逆にCMなどを見ていると子供が居ない夫婦の方が自由に金銭的にも裕福に暮らせるようなイメージのものが多く、
ニュースを見れば子供が被害者加害者になる事件ばかりで「うちは居ないからこういう心配は無くて良かった」と
思う機会のほうが多いです。
これでは子供が居ないメリットばかり目立ちます。

この「思い」も理性ではありません。
この人が自分自身の話で「理性」の根拠として提出する話は
むしろ妄想概念と呼ぶべきものだらけです。

その判断は理性ではなく妄想

もう一度要旨箇条書きしましょう。

  • ”日々生きていて色々な世の中の汚い面に触れる”
  • ”「こんな産み育て難い世の中で産みたくないよ」と思うことが多々”
  • ”世の中どこに行っても妊婦や乳幼児連れや子供を取り巻く環境は酷く殺伐とし”
  • ”子供がいるメリットなんて正直「子供が可愛い」くらい”
  • ”CMなどを見ていると子供が居ない夫婦の方が自由に金銭的にも裕福に暮らせるようなイメージのものが多く、”
  • ”ニュースを見れば子供が被害者加害者になる事件ばかり”
  • ”「うちは居ないからこういう心配は無くて良かった」と思う”


どうですか。
何かの案件で「意思決定の根拠はこれです!」つってこのレベルのもの持ってこられたら
たとえ新入社員でも頭はたくしかないわけです。


またもしこれらが事実でありこの見方が理性だと言うなら

この時代に子供を生む事を選択した女性のことを私は本当に尊敬します。

この時代で「産む」を選択している女性は、私にとってすごく勇者のように思えます

これは成り立ちませんしね。
そんな世界で子供産んでんだから勇気ではなく馬鹿という事になるでしょうそいつらは。



こういうのをよりによって「理性」と自称するということは完全に頭がいかれています。
どれぐらいいかれているかというと
「子供を産むのが女の幸せ!」「子供の居る人生は居ない人生より絶対に豊か!」
「子供を持たなければ人格は完成しないし惨めな失敗者の人生が待ってるのよ!」
みたいなこと喚く人とちょうど同レベルでしょう。
そういう人とこのブログ主とで議論をしても決して”理性的”な結論は出ませんが、
それは2人とも論拠がただの妄想だからです。


根本的な誤謬は
「本能と理性が対立」だとか「本能で無ければ理性」のような構図のせいでしょうが、
人間の頭がパーである原因としては本能よりも妄想の害の方が確実に大です。

妄想で社会を語りだすと他人を巻き込む危険が

 この人はまた、「女の本能」にはきちんと懐疑的なのに「男の本能」や「政治家の陰謀」については謎の確信を持って話を進めます。(人間社会に関する雑談で使われる「本能」なんて全部恣意的な出鱈目じゃないんですかね?まともなデータを背景に「本能」って言ってる人居るのかしら。)
 妄想与太話ですよ、という自覚をしてやっている遊びならいいですが、理性理性と自負しているから心配になります。

そして今、日本は少子化が加速し政治家の多くを占める年配男性はなんとか日本の若い女に子供を産ませようとしているように感じます。

 そうでしょうか?推測与太に与太をかぶさせてもらうと、年配の政治家は世代意識的にも票田的にも少子化対策に取り組むモチベーションなくないですか?今から少子化対策の種なんか撒いたって収穫の時にはボケてるか死んでるんですよね。彼等の利害としてはそんなことに金使うより老人福祉、10年後のヘルパーの手の為に移民導引、まだそっちなんじゃないでしょうか?


 それに、お金を蒔いたら子供産むっていうのも予算がかかるし失敗例もあるし。
何せ昔は「子供を産むのが女の幸せ」「男は子供を持って一人前」という妄想概念を強固にしただけで余裕で2人以上産んでいたわけですから、そういう”実績”のある価値観と社会に立ち戻ろう言うのは少子化対策としてはむしろ科学的ですよね。やられるこっちとしてはすごく負担が大きいし不快だし勘弁してくれって話ですが、政策としては”理性的”なのかもしれないですよ。
 更に、「自分達の収入で2人目無理だな」と気付くのは理性でしょうが、「お金もらえるなら3人目も4人目も欲しい」という欲望が理性なのかどうかもよくわかりませんし。


 冗談はともかく、ご政道談義部分はまたなんだかふわふわしていますよね。介護施設でしつこくされた話などの事実のエピソードは読み応えがあるのと対照的に。
 一見きちんと社会を語ってると見せかけて個人的な妄想に基づくあれこれを混入しながら撒布し、読み手が誰も「この人の言ってることちょっとおかしいぞ」と気付かず真面目な気持ちで頷くというこの工程、この人が「子供なんて」グチや子供真教やを聞かされてきたのと同じことをより広範に再生産してるように見える。

どこにも理性なんか無いじゃんよ

 個人の勝手であるべき「産まない」と言う結論を変える必要はありませんが、この人が産まない理由と言うのは子供産めおじさん(おばさん)の信念を反転させた程度のただの妄想でしかなく、妄想から生み出された感情によって産む産まねえと言ってるだけです。断じて理性による判断などではありません。


 出来れば妄想を退治したあとで本当に理性から「産まない」という結論にたどり着ければいいでしょうが、長く聞かされたという母親からのグチやら結婚後に受けた周囲の余計な介入やらによってだいぶ変な概念と妄想を育てたのでしょう。その余計なことした奴等もそれぞれ強固な妄想の飼い主でしたでしょうし。妄想を退治するよりタイムアップの来るほうがおそらく早い。


どうせほとんどの人間だって
 「子供が居れば幸せな家庭、まっとうな人生が約束されるんだ」という妄想か
 「この世は汚く酷く殺伐として産んだ子は被害者か加害者になるんだ」という妄想か
どっちかの妄想を選ぶだけでしょうし。
こういうことのどこに理性なんてものがあるんでしょうね。



なるべく自分の妄想に気付こう。
妄想にすぎないものを「自明のルール」とか「理性による判断」などと思い込まずよく観察しよう。
というぐらいしか有益な教訓が取り出せないと思います。
そこさえ押さえておけば人に愚痴聞かせたり介入したりする妄想伝播だけはしないでしょうし。