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やまもといちろうを吊るせ

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すごいこと言ってますね。駄々漏らしですね。
「みんなの介護ニュース」でこの寄稿。
実に舐めてる記事だと思います。



さすがにブコメで突っ込まれてるかなーと見たら、これ。

【やまもといちろう氏 特別寄稿】 相模原の障害者19人刺殺は思想犯と言えるのか|みんなの介護ニュース

「重く受け止めろ」だけでそれ以上の具体的な方向性がない、何か言ってるようで何もない隊長らしい纏め。「現代社会や常識に対する挑戦」を後先考えず壊す方向でネット俗情引っ張ってきた代表格が隊長だからなあ。

2016/07/28 17:42

この読めてなさ! びびるわ。
これさー、「やまもといちろう信者なので好意で目が眩んでやまもとのヤバい部分が読めませんでした」、つーならまだわかりますが(ダメですが)、このブクマ書いてる人はやまもといちろうに敵意を燃やしててなんとか批判してやろうって立場の人ですよね?☆つけてる人の多くも。


それで頑張って見つけたアヤ付け箇所が「何か言ってるようで何もない」???「具体的な方向性がない」??????
ダメだこりゃ。話になんね。
やまもとアンチはやまもとの相手になってないですね。


やまもとの記事を見ていこう 1

まずはボンヤリした感覚のレベルからで恐縮ですが、
今回のこの記事なんか変だなーと思いませんでしたか?
普段のやまもとの文に比べて圧倒的に頭に入ってきにくいんですよ。
一読して「ん?何言ってんだ?こいつ」って印象がまず残る。
(そこでノータイムで「何か言ってるようで何もない」とか「非常にフラット」とかいう結論になる奴等は0点。もう少し頭使って、どうぞ。)


確かに、書き手に意見というものがないのに無理矢理膨らませて一本にしてる駄文というのもあります。しかしこの記事はそれではないです。だってやまもとの意見と言うか立場は相当に強く表現されてますから。


やまもとの記事を見ていこう 2

前置きは終わりで、実際にズバーッと見ていきましょう。
引用大量になりますが要約しますから大丈夫です。

というのも、19名の死者、20名以上の負傷者を出す一方、それらはすべて障害者であり、殺そうと思えば殺せたはずの健常者の職員については拘束する程度で傷つけたりはしていない、という点に、この犯人の強い思想性を思い至らせるからです。

やまもと「犯人は自分なりの筋は徹底して通しており自制とジェントルぶりを見せた。」

「後悔も反省もしていない」、ただ家族に対しては「申し訳ない」と、一見矛盾するようで首尾一貫している供述をしているわけです。

やまもと「犯人は逮捕後ぶれず、発言も首尾一貫している。」

まさに突き詰めれば哲学上の「他我問題」、すなわち自分と異なる他者に意識はあるのかという深淵な課題を突きつけているものであり、同時に役に立たない障害者は社会にとっての制約、存在悪であると思想的に完結していることになります。

やまもと「犯人は犯行の下敷きに確固たる思想を持っており、そこでは我々に迫ってくる深遠な課題すら見て取れる。」

犯人の思想が「特殊だ」「狂っている」と言って線引きして終わりで済む話なんだろうか?

やまもと「犯人の考えを特殊化やキチガイ扱いして終わりにするな。」

ヤフーニュースのテーマで、「介護殺人」の特集が組まれ大きな反響がありました。
「母親に、死んでほしい…」介護者の葛藤

やまもと「犯人の訴えはメディアでも特集が組まれるほどのホットトピック」

きちんと犯人の思想を咀嚼して、単なる狂人の凶行と線引きし他人事とせず向き合う必要があるのではないかと感じます。

やまもと「犯人の思想を咀嚼(!)せよ。キチガイ扱いせず、わがこととして向き合え。」


さあ、何も言ってないどころか!
やまもとの本音は強烈かつ、明白です!
文意は一貫しています。
やまもとは、「俺は犯人の思想には共鳴する。」「みんなこの思想犯の思想に全力で取り合え。」つってるんですよ!
この文章はそれ以外の読みようがないものです。


やまもとの記事を見ていこう 3

このように、整理して見て行けばこれほど明確なやまもとの立場・主張が込められた文であるにもかかわらず、通しで読むと全体として何言ってんだかわけわかんない印象になるのは、最終2段落のせいだと思います。

おそらくは、介護問題も含めてこの危険な思想でさえもひとつの類例として受け入れて、障害者や認知症の被介護者に対する安楽死論争のようなものに繋がっていく可能性はないわけではありません。殺人など絶対に許されるものではないが、それを建て前と考え、本音では家族の負担が厳しいとなったときに良きところで人生を終えてもらえる仕組みを考えようという話に容易になっていってしまう前に、きちんと犯人の思想を咀嚼して、単なる狂人の凶行と線引きし他人事とせず向き合う必要があるのではないかと感じます。

ここに保険があると言うか、誤魔化しがあるんですね。意図的でしょう。
>家族の負担が厳しいとなったときに良きところで人生を終えてもらえる
>仕組みを考えようという話に容易になっていってしまう前に、
って。


犯人の示唆するところは誰がどう考えても安楽死の議論です。
やまもとは当然それを理解してこれだけプッシュをしてるわけです。
「犯人の思想を咀嚼せよ」とまで言っているのですから、これはまさに、
「家族の負担が厳しいとなったときに良きところで人生を終えてもらえる仕組みを考えようという話」以外の何者でもないでしょう。


でも最後だけ正反対のことを書くんですね。「…という風になっちゃまずいから」みたいなね。それで一気に全体が何の話わからなくなるうえ、「犯人に乗った」だの「事件から安易に安楽死議論へ誘導をかました」だのと言われなくなるわけです。


これはもうコラムニストの手管というより大昔のネット喧嘩師のような姑息な手口ですが、実際この程度の保険装置で撹乱されるチョロいやつばっかりですからね。コメント欄やはてブ欄に突撃してる執念深そうなやまもとアンチですら。

突き詰めれば、自分にとって理解のできない、不要な人物は傷つけてもよいのだ、殺してもよいのだ、という発想につながる極めて狭量で最悪な犯行だとしても、この事件が投げかけた問題は深く重いことを、介護に関わる皆さん全体としてぜひ知っていただきたいと思います。

この文も変でしょう。意図的にやってます。
「自分にとって理解のできない、不要な人物は傷つけてもよいのだ、殺してもよいのだという発想」程度のつまらない犯罪思考なんかであれば、否定して終わりなわけです。


そんなくだらない、見る価値のないもんだと思ってるならやまもとはああして広く世間に発表する文の中であれだけ大プッシュはしないでしょう。


つまり、やまもとは犯人の思想をそんなもんだとは全然思ってないのです。狭量で最悪だなんてことも別に思ってないのです。でも少しそういう書き方をしておくのですね。そうすると読者が混乱してくれるから。


倫理的に詰められそうな本音を書く時はそのような保険装置を仕掛けておくに限ります。読者が適度に混乱するのがいいんです。
もし混乱せずに突っ込んでくる奴がいても、最低限の脱出口にはなるわけです。「私は犯人のことは厳しく批判しているでしょう、ほらここです。あんたの突っ込みは邪推・因縁ってもんでしょう」と。


しかしちゃんと押さえて読めるなら、「あいつと自分の間に線引きをするな」とまで文中で何度も言ってますからね。相当ですよ。やまもと自身は犯人に対して深く頷くところがあったとしか思えないw


きわめつけはタイトルですよ。

相模原の障害者19人刺殺は思想犯と言えるのか

あれは思想だ、思想犯だ、ただのキチガイとして捨てるな、と執拗に言うのはやまもと本人です。なのに「思想犯と言えるのか」なんてタイトルつけるんですね。まるで、「みんなが思想犯だといってるけど俺(やまもと)はそこは慎重になるぜ」ぐらいの雰囲気を出したタイトルです。ボンヤリ読んでる人はこれだけでも混乱させられてしまう。


まとめ

思想犯というのは現行の法や体制に不法なやり方で叛逆する奴等です。
ましてその思想の表現の為に大量殺人を敢行したとあってはもう、その国家で暮らす善男善女からすれば「奴はキチガイ」として自分達とのあいだに溝を引いて捨てるしかない存在です。取り合われてはいけないアンタッチャボーです。


その思想犯が刑場に引っ立てられていったあとの市場で、「彼と自分に線を引くな」「彼を捨て去るな」「彼の挙は我々に深遠な課題を突き付けた」「彼の思想をわがこととして咀嚼せよ」って叫んでるおっさんが居たらどうですか。私が特高なら真っ先に引っ張りますけどね。



こんな明々白々のとぼけた共犯者、人狼で言ったら狂人丸出しのおっさんを、その丸出しの尻尾を咎められずに「何も言ってないじゃないか」なんて批判を付ける馬鹿達が居る。ほんとにまあ話にならない。
こんな間の抜けたアンチしかいないんだったらやまもとのおっさんは向こう十年も無敵でしょうな。そりゃこの程度の保険の舐めた記事書くわ。