xevraさんが嘘しか言わないことについて
はてなブックマーク - xevra「日本なんか5年後から子供達がバタバタと白血病で多量に死に出す
について。
「軽口」とは私の書いたフレーズのことだろう。これらはきちんと真面目にコメントする必要があると思ったので書いておく。
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まず、私がxevraさんに好意的だから庇っていると思われているならそれは誤解だ。xevraさんには一定数のファンが居るようだが私は全然ファンではない。
そもそも私は別にxevraさんのコメントが好きではない。ユーモアと言うのは当意即妙であって、一つ覚えを延々繰り返す系のものは面白いと思わないから。増田でうんこもらしたとかパンティーとか1度受けたネタを延々繰り返してる連中もそれを相手する側含めて本音のところ目に入るだけでヘドが出る。面白くない人はギャグとかに取り組まないでいいからただ実直に生きて欲しいと思う。このへんは虚構新聞とかへの嫌悪感と同じだ。
そのうえで、私がxevraさんについて何度か「彼のは軽口である」と述べてきた(冒頭の増田の人達が不当な弁護であると指摘したもの)のは、彼の言ってることが1つも真剣ではなくまるっきり嘘だと思っているからだ。運動、野菜、瞑想、起業、全部ご本人はやっておられない。
前にxevraさんの「瞑想」とはどのようなものか訊ねたことがあるけれども、xevraさんは別に逃げ隠れする様子もなく説明してくれた。その内容は全然瞑想とは言えない低レベルなものだった。確かに瞑想はいくつも流派があるけれども、そのどれかのアレンジですらない。完全に我流の思いつきと思われた(確か自分でもそう言ってたような)。
xevraさんの言動は全部このようなもので、ちゃんと見るならすぐおかしいとわかるし、訊ねれば偽装したり逃げたりせず答えてくれるし、要するに内容空疎であって、ナンセンスな決まり文句を少しずつ変えながら繰り返しているだけだ。*1
だから少なくとも彼がヘイターだとは思わない。はてなにはヘイターはうじゃうじゃ居る(反ヘイトや反差別を標榜するクラスタにも多い)から、わざわざパントマイマーであるxevraさんのことをヘイターだとか差別者だとか非難する気にはならなかった。
問題は彼を軽口道化師以上のものとして扱う囲い達(先生とか言ってる悪い意味での内輪受け古参等)の方ではないか。囲い達さえいなければxevraさんはコミュニティの片隅でくだらないキメ台詞をちょとずつ変えながら繰り返すミニマルミュージックのような狂人としてはてな山の無害な賑わいになっていたものを、真面目に騙されて持ち上げるバカが一定数現れたものだから真に受ける者が増え始める。
軽口を軽口と気付かず扱い方を間違える者達によってxevraさんが有毒化したとして、それはxevraさんを責めてよいことなのかどうか。xevraさんを別に好きではないからこそ、そこで軽々にxevra叩きに乗るようなことは自重して来た。まず先に周囲をこそ責めるべきではないかと。
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それでもこれまでも困るなあと思ってきたことが、xevraさんを瞑想の代表のように扱う人達がいて、xevraさんも求められるままたびたび瞑想についてコメントしていて(もちろん全部適当なことを言ってる)、それを信じ込むような気配が結構見られたことだ。
xevraさんの発言についてマジレスすること自体ナンセンスとは思いながら、彼を信じて「瞑想ってその程度か」と侮る人が増えるのは困るので、瞑想についてだけはたびたびxevraさんを否定して来た。http://b.hatena.ne.jp/ketudan/search?q=xevra
しかしこれについても、いい加減な嘘を繰り返すxevraさんが腹立たしいというよりは、「こんな人に真面目な質問してその言ってることを信じて他に調べようとしないようなバカはどっちにしろ度し難し」という気持ちがあって、いまいち真剣にはなれなかった。
英語や簿記の勉強と一緒で、ちゃんとした瞑想を教えられようがxevraさんのうそんこ瞑想を教えられようが、どうせやりゃしねえんだから一緒だわ
ただxevraさんが瞑想についてやってることは不特定多数を瞑想ひいては仏法から遠ざける結果になっていて、仏教徒として宗教臭いことはあまり言いたくないけれどもxevraさんは人殺しより罪深く後生がよくないということになる。冗談でもやめたほうがよろしい。運動野菜にしておけ。
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以上のようにxevraさんの繰り返すフレーズにヘイトも憎悪もないという立場だけれども、周囲の持ち上げで人目に付くようになり、正しく狂人として扱われてもいない以上、その発言を文字通りに受け取って不快感を持つ人や差別を感じる人が出るのも仕方が無いだろう。
また、彼の形式的ヘイトに本気のヘイトを持った人間が☆を付けて乗っている場面*2を見かけることも前からままあった。これは結果として悪意やヘイトの旗印・乗り物になってしまっている。
こうなっては冒頭のようなxevra発言を問題視・非難する人達に対して「軽口なんだから君達が我慢するべきなんだよ」などと言う気はないし言えない。
xevraさんの言うことを真面目に取り合ったり持ち上げたりするバカがいて、自分達のヘイト代弁に利用するヘイターたちまでいるのだから、その時点で本人の意思はどうであろうともxevraさんの発言は空疎なBGMではなくなってしまっている。
元々はxevraさんが悪いというよりバカ達ヘイター達が悪いのだけれども、今やxevraさんは自分の発言によって裁かれるしかないだろう。文字通りに真面目に受け取るなら彼の発言の一部はヘイトもヘイト、差別も差別だ。はてな運営がどう処分するのかはしらないけれども。
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この現象は虚構新聞に似ている。あれは書いてる人がセンスも頭も良くないので全然面白くはないんだけれども、あのコンセプトをやってるだけなら非難したくはなかった。シャルリーエブドだって同じだ。「君の作品はつまんねークソだと思うけどそれを発表する権利は最大限守りたいと思うよ」ということになる。
けれども世間に結構居るセンスも頭も悪い人達にとってはああいうものが彼等に理解出来る範囲内での最上級のユーモアなので、矢鱈持ち上げて注目度やポジションや権威まで与えてしまう。やってる側もいい気分になって勘違いしだしたり商売にしたりし始める。そこまでくるとマジ反応せざるを得なくなる利害関係者も現れる。
シャルリーなんて「能力の低い漫画家が口を糊するための過激ポンチ絵」として正しく扱っていれば誰も困らなかったものを、フランス人にもセンスや頭のよくない奴が大勢いたので、あんなもんをエスプリだとか大事な文化だとか言って持ち上げたせいで漫画家のほうも思い上がったし、原理主義過激派さんサイドもマジレスしてしまって大惨事だ。
その後市民の大規模行進で「暴力反対」「テロ反対」かと思ったら「私はシャルリー」とか言っててもうバカの極致だった。自分達のバカさ加減がたかがポンチ絵を深刻なものにしてしまったという反省が最後まで見られなかったので、フランス人も相当にバカが多いのだろう。
無益無害のつまんないやつよりそれを持ち上げるバカ達こそが本当の害の生産者である。
精神科医は怒りの処方箋すら書けない
怒りをコントロールするってのは、「怒りを表出しないこと」ではなく「自分自身の適応にとって最適なかたちで怒りを表出すること」だと思うので、怒りを表出しない人、まして否定している人は怒りをコントロールできているとはほとんど思わない。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年12月27日
低レベル極まりない。
あきれはてる。
精神科医というのは心の専門家のはずだが、それでこれだ。これは心の仕組みについて何もわかってないしなんら役立つソリューションも持っていないと自白しているようなものだ。
「怒りをコントロールする」等と豪語しながら怒りの仕組みも知らない。心の医者だと自称しながら基本的な疾病”怒り”の対処法も持たない。これで人の役に立つ仕事と言えるだろうか?
たとえば歯医者は少なくとも虫歯の仕組みぐらいは説明できるし、予防法を教授できるし、痛みのある歯の治療もまあまあ出来る。精神科医は自分の専門分野において歯医者ぐらいの能力があるだろうか?全然そう見えないのだが。
1.怒りの仕組み
無能力な精神科医に代わり、人がどのように怒るか・怒りの仕組みを説明する。
たとえば電車で足を踏まれたとする。
すると我々は「私の足を踏むなんて駄目じゃないか」「なんでこいつは人の足を踏むんだ」「どういうつもりなんだ」「他人を舐めてるのか」「こんな奴はどうせ〇〇に違いない」などとくだらない考えをものすごい速度で次々と回転させていって怒る。
ポイントはこれらの考えは全部事実ではない、事実と確認できない妄想であると言うことだ。しかも自動的に思考が始まっていて自分で思考開始にも気付いていない。これが心をコントロールできていないと言う。
一方で怒らない人はどう反応するか。
怒らない人は妄想をしない。事実を確認して終わりにする。
足を踏まれた瞬間に確かなのは踏まれた足の感触だけだ。
「痛み」もしくは「圧」。
おわり。
余計なことを考えない場合怒りようがない。
この説明をすると「なんかゾンビみたいな人間のことなのか」とか「思考を放棄しろと言うのか」という反発がおきやすい。その反応はわかる。現代社会では感情や思考が何よりも大事で人間らしいものであると徹底的に刷り込まれて育つから当然だ。
だがそんなスローガンを信じ込む前に、その感情や思考についてきちんと観察して検討したことがあるだろうか?それもしたことが無いのに感情や思考は素晴らしいとか大事とか言って信じ込んでるならそれは詐欺の被害者と同じだ。
たとえば自分自身の思考についてちょっと精査してみればいい。一瞬一瞬、ほんとにそんな大したこと考えてるか。瞬間瞬間何考えてるのかきちんとモニターする能力というのも実は訓練*1しないと得られないが、観察できるようになってみると人間は殆どろくなことを考えていない。考えてることが事実ですらない。であるにもかかわらず一瞬も休まず連鎖的に何かを考え続けている。これが人類の根本的病いだ。
どうだろうか。
怒りの仕組みについてごく簡単にだが一通り説明した。
なんか信用できないぞと思ったらなんでも質問してほしいし心のモニター方法についても興味があれば説明する。だが少なくともこれこれこうだと説明はした。精神科医がこの程度に怒りについて説明出来てるのを見たことが無い。
はてなの精神科医も「適度にキレるのが怒りのコントロールだ」とか馬鹿なことしか言ってない。表層的な対症療法でしかないうえに間違っていて無益でしかも有害だ。
怒鳴る、キレるは論外として、表出しようがしまいがそもそも怒った時点で心のコントロールに失敗している。
2.「怒りを表出してコントロール」は本当か
必要に迫られた場合には、怒る、怒鳴る、キレることを厭わない人のほうが、のべつまくなしに怒りを避けている人より、よほど怒りの感情をコントロールして使いこなしていると思う。あるいは、怒りをネット炎上への加担などにコンバートして、誤魔化しているような人よりもね。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年12月27日
1を読んだ今ならおわかりいただけるだろうか。
こんなのは全く馬鹿丸出しのとんでもない見解だ。
怒りをゴチャゴチャと加工していられず、放電のように手放してしまったほうがトータルでは望ましい、という場合はゼロではない。
この手のアホ言説が昔からあるが、「怒りを”適度に”表出させることでストレス解消」みたいな理論はそもそも根拠があるのだろうか。何かちゃんとしたソースなりがあるのだろうか。
怒りを噴出させたことでスカッとしたりよい結果になったりしたら人間の脳がどうなるかというと、怒りに繋がる回路が強化される。より怒るようになるのだ。当たり前だろう。ましてこのやぶ先生の甘言のように「君がキレるのは当然。いいことなんだよ」なんて誰かに肯定されながら怒っていたらそれはもうとんでもない人間になる。
政治運動なんかしてる人達を見てみればいい。大部分はいっつもいっつも怒っている。もうとっくに普通の人の一生分ぐらい怒って怒って憎んで憎んでいるのに、怒りがカラになるどころかさらに怒るようになっている。政治運動を始めたせいで異様に怒りっぽい人間に変わり果て、言葉も顔つきも思考も恐ろしい感じになったりする。
なんでそうなのかというと、間違った政治運動は怒りを肯定してしまっているから。それどころか、怒りが何か大事な原動力だとすら思ってるのだ。*2
例えに使って申し訳ないが、こんなのパッと見で完璧な精神異常だろう。治療が必要だ。
足を踏まれたことでこんな風に怒る人がいたら誰でも「この人キチガイだ」と判断するのに、なんか政治的な名目があるとこういう人を肯定してしまう。政治運動、いやあらゆる「正義」こそがキチガイの温床ということだ。
怒る人は周囲にも迷惑だが、何より自分自身を破壊する。どんどん苦しくなるし、何より知性が台無しになってみるみる頭が悪くなる。はてな精神科医はそのていどのことにすら考えが至ってない。「正しい怒り」なんてたわけた概念がどれほどの猛毒か。患者に薬を出せず毒を出す人間に医師の資格は無い。
怒りをコントロールするとは、怒りを抑圧することでも怒りをひたすら冷静にすることでもない。私なら、怒りを刺激するツボを回避するよう訓練されることだとも思わない。場の状況や相手の出方をキチンと見定め、最適なかたちで怒りの表出方法を選び、必要ならば、感情的な怒りの表出も厭わないのが、怒りがコントロールできている人だと私は思う。付け加えて、自分自身のストレス耐性や心理的圧迫を弁えて、そこまで勘案して怒りの表出手段や表出の程度を選べる人だとも思う。
こんなことしか言えないならもう精神科医なんかやめてほしい。内蔵の仕組みを理解してない人が開腹手術してはいけないのと同じように、心の仕組みがわからない人は心について人に助言などしてはいけない。
3.左派・リベラルの陥穽も怒り
馬鹿な記事なので馬鹿なコメントが寄ってきている。
怒りの表現がタブー化、あるいは冷笑の対象とすることは強者にとっても都合が良いと思える。 - binbocchamaのコメント / はてなブックマーク
いや逆でしょ。権力者への怒り・和を乱す怒りをタブーにしたがっている奴がいる。「批判なき政治」とかその典型。そういう奴は弱者への怒り・叩きは煽っている。 - grdgsのコメント / はてなブックマーク
これらは全くの了見違いで、怒りで行動する人を認めない社会は軽々に人の怒りに同調し尻馬に乗る社会よりもまともな社会だ。
現与党が政権を追われるべきなのにそうならないとしたらその理由は少なくとも「社会に怒りが足りないから」などではない。いい加減それを理解しないか。左派はどこかに「民衆の猛烈な怒りで一気呵成に物事が動く」という甘美なロマンを未だに抱き続けていないか。
怒りが恐ろしいのは、怒っているときかなり気持ちいいところだ。人間は生来怒りたがりだ。私私私。私は正しい。正しい私の怒りによって間違ったクズどもが叩きのめされて物事が正しくなるというイメージは本能的な快楽に沿っている。
敵を作って仲間と結束するときの怒りも高揚感や快楽がすごい。士気が上がり頭が悪くなり理性が麻痺し攻撃的になり敵を悪魔化しアンフェアになる。(こういうのはサルや原人がトライブ間で戦争をするときに有利に働く本能だったのかもしれない。まともな理性や慈悲やフェアネスはトライブが違うだけの相手を石で殴り殺すのには邪魔になる。)
理性はそんな快楽なんぞを疑うところから始まる。左派やリベラルは右派や保守より理性をこそ自負し研ぎ澄ますべき陣営だったはずが、怒りを肯定したのが運の尽き。快楽主義の馬鹿がこぞって参加したがるようになったし、まともな人でも参加するとあっという間に理性が台無しになって馬鹿化する魔の陣営になった。
いつも異常なキレ方をしていて、同じぐらいのキレを共有しないと参加できない陣営とか、ハードル高すぎだろ。新たに参加しにくい・外部から見たら嫌悪感の湧くムードを自分達で作っておきながら、その自覚も出来なくなっている。サルの戦争トライブはそういうものだ。
4.余談
言いたいことは言い尽くしたのでこれは本当に余計な話だがシロクマ氏について。
そういう意味では、たとえば、どこかの病院の時間外外来で怒りをあらわにしている患者が「怒りをコントロールできていない人」とは限らない。その患者が直面している社会的状況次第では、そうして"みせる"のが最もベネフィットが見込まれ、リスクも少なくて済むことだってある。外来の医師や病院事務に対するコミュニケーションの効果を最大化し、失うものが何も無い場合にも、"わざと"怒りを感情的に表出をするのが最適な状況が無いとは言えない。
これは交渉術(下品な)の話であって心のコントロールの問題とは別の話になっている。書き手が問題の切り分けすらあいまいな程度の脳のレベルだということを表している。
怒りの不適応な側面だけを強調して、怒りの適応的な側面を無かったことにするのは、事実の一部分を強調するあまり、他の一部分を見失っているか、特定の思想信条に基づいてわざと見ないようにしているか、どちらかだと思う。なんにせよ、それは娑婆世界の実情どおりの観察とは言えない。
交渉の話に付き合うなら、強硬に出るとか脅迫するという手は怒りの感情とは関係がない。脅迫が成功するのは自分が相手に危害を加える実力を持っていて相手にそれを防ぐ手段も逃げ出す手段もないときだ。
逆にちゃんと危害を加える手段を持っていると思わせられたら穏やかに要求しても恐がられる。そんな手段を持ってないと思われればどんなに怒り狂って見せても滑稽がられるだけだ。
怒りを見せつける交渉術と言うのは道義的にまともでないのは当然として、単純に相当低レベルだし破滅的だ。そんなもんを「怒りの適応的な側面」などというこの人は相当頭が悪いしモラルも低いのではないだろうか*3。
必要に迫られた場合には、怒る、怒鳴る、キレることを厭わない人のほうが、のべつまくなしに怒りを避けている人より、よほど怒りの感情をコントロールして使いこなしていると思う
この馬鹿話に乗るにしても、それなら説明すべきは「必要に迫られた場合」というのは具体的にどういう時なのか、ということではないだろうか。
「必要なときにはするべき」と言う文章には何の情報も知恵も含まれていない。類似の言い回しで良く見る物に「過剰にするのはよくない」というものがある。
提供すべき情報は「どういうときが”必要なとき”なのか」と言う具体例、「どれぐらいからが”過剰”なのか」という定量的な数値だろう。
「必要に迫られた場合にはするべき」なんていう馬鹿な文章を書く人間が馬鹿じゃないことがあるだろうか?
前からこの人はこういうのがあまりにも目に付く。医師が馬鹿では困る。害が大きい。
前からずっと言ってることですが、
お釈迦様の観察と分析は精神科医のはるか先に到達しています。
2000年以上前です。
心をモニターする方法とは何かというと、もちろん瞑想です。
瞑想の本を選ぶコツをひとつだけ挙げるならマインドフルネスや我流アレンジの物を避けること。
スカジョに降板を強いたうえにその責任すら受け止めないつもりなのかあんたらは
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酷いねこれ。
やってることが狂ってるのはまだしも、
その自分達なりの正義の責任すらとる気無いのはあきれる。
脅迫してた癖にきれいにまとめようとすんな
勘違いしないでほしいんだけど、ジョハンソンにトランス男性役をやらせることを批判している人たちは、トランスジェンダーの役はトランスジェンダーにしか表現できないと言っているわけではないんですよ。ましてや、別にジョハンソン個人の人間性なり、能力なりが疑問視されているわけでもありません。
何言ってんだかw
能力はまだしも、人間性に付いてははっきりと非難の構えしてたでしょうよ。
ジョハンソンはもしこの役を降りなければずっと特定の連中からターゲットにされてその後のキャリアにトラブルがつきまとうリスクがあった。
はっきり言ってあれは「脅迫を受けてた」んですよ。
あんたらは「自分たちの要求するようにしなければお前には不利益(この場合は特に今後の仕事や名声について)が起きるぞ」というシグナルを送っていました。
これは小さな子供だって理解するおなじみのあの取引でしょうよ。
もちろん、役者やってりゃ映画や演技の出来次第で毀誉褒貶受けるのは避けられないことですが、あんたらはそういう一般的な批判(「大根!」「糞映画!」とかそういうの)を超えた不利益を予告してたように見えましたけどね。
ジョハンソンが詰められる根拠が滅茶苦茶
批判の主な論点は、このキャスティングが、
シスジェンダーの人にばかりトランス役を振ることで、観客の中の「トランス女性は『本当は』男なんだ」/「トランス男性は『本当は』女なんだ」という偏見が強化されてしまう
観客のそんな偏見は、作り方次第・もしくは観客側の知能の問題では?
百歩譲ってもジョハンソン個人の喉を掴みにいくべき話ではない。
シスの役者がトランス役もシス役も持っていく一方、トランスの役者にシス役は回ってこない
業界のキャスティング権限者達がトランスの役者にシス役を回さないのはジョハンソンの差し金なのか?(って聞けば「違う、そんなこと言ってない」と言うんだろうが、じゃあなんでジョハンソンつるし上げるときにその論点を出した?)
そのくせ、本物のトランス女性やトランス男性の役者が、「トランスらしさが足りない(シスジェンダーの人々の偏見に合致するような見た目ではない)」という理由でトランス役を断られたりしている
それは断った奴に抗議しろよ。ジョハンソンを包囲する根拠にその話を持ち出しても八つ当たりもいいとこだ。*1
「ジョハンソンの人間性は疑問視してない」?
ハリウッドのトランスジェンダーの映画人たちは、この判断を高く評価。以下の動画で、「彼女は勇敢」、「トラブルが起こったときにシスジェンダーの人にしてほしいことそのものをやってくれた」、「スカーレット・ジョハンソン、あんたすごいよ。(カメラに)彼女はわたしたちの声を聴いてくれた」、「希望が持てた」、「これでとうとう物事が前に進むかも」などのコメントを寄せています。これにて一件落着かな。
語るに落ちてるんだけど、降りた途端に人格的な肯定評価を殺到させてますよね。これは降りなかったら人格的に逆の評価をつけてことあるごとに粘着してたってこととちゃうんかい。
ジョハンソンが降りなかった場合に「そう。我々にとっては残念だね」で一件落着させたとは到底思えない。(「いや落着させてたよ」とバレバレの嘘を言い張るほど恥知らずでもないと信じる。)
こんな状況でなーにが
別にジョハンソン個人の人間性なり、能力なりが疑問視されているわけでもありません。
だよ。卑怯極まりない。
そしてこんな言い草で糊塗出来ると思ってるなら頭も悪いし他人を舐めてる。
脅迫してる自覚あったんでは?
自覚しないぐらいとんまならセーフって話でもないけど、自覚も十分してたんじゃないの?
前回のエントリにこういうタイトルを付けてまとめたのも、結構冷静な部分や計算を感じるんですけどね。
あなたたちは最初から十分正気の部分があって、自分たちのやってることが客観的にいえば脅迫だよなとか、結構まずいよなとか、ちゃあんと認識してたんじゃあないですか?だから先に自分達が脅迫されてるってことを言い出して機先を制する。
もちろんトランス女優にそういう糞みたいなメッセージを送る奴は実際いる(それもかなり大勢)と思いますし許しがたいことですが、「トランス女優が匿名の糞から脅迫を受けてる事実」と「ジョハンソンがソーシャルジャスティス方面から脅迫を受けてる事実」は、相殺するようなことじゃないですよね。
圧力かけておいて「あいつが自分からやった」は通らない
しかしどんなキャスティングで映画をつくるのも映画製作者の自由である一方、そのキャスティングを問題だと思う人が批判するのも自由(もちろん絶賛するのも自由)、批判を受けた側が元通りのキャスティングで押し通すのも自由(マット・ボマー(Matt Bomer)やエル・ファニング(Elle Fanning)の例を見ればわかることですね)、やめるのも自由であるはず。今回ジョハンソンは降板する自由を選び、それによってトランス・コミュニティからの尊敬を勝ち得たのであって、別に誰の自由も奪われちゃいませんよ。
ほんとにコテコテに腐った言い草だ。
圧力を掛け得る立場の側が圧力によって人の行動を意のままにしておきながら、それを咎められそうになったら「あいつが自分からやった」と言い出すのってもう、学校のいじめっ子から部活の暴力顧問から企業のパワハラ上司まで、糞どもが必ず言う逃げ口上じゃないっすか。
立場弱い子を囲んで「いうこと聞かなかったらもっとひどいぞ」つって2階から飛びおりさせて事件になって、「俺達が追い詰めてやらせました」なんて言わない。「あいつが自分からやったんだ」って必ずいうでしょ。
それで通ると思ってんのか。
だっせー言い訳も大概にしてくれ。
万が一の確率で囲まれた側の子がほんとに「飛ぶのもいいかな」って心変わりして自分の意思で嬉々として飛び降りてたのだとしても、そいつに深刻な不利益を与え得る力を持った側から「飛び降りないとひどいぞ」という圧迫があった時点で、それは自由意志だったとは判定できない。
自分達のやったことに嘘はつかないでほしい
あんたがたは自分達の正義を信じて自分達のパワーを行使してジョハンソンを役から引き摺り下ろしたんでしょう。一旦は抵抗の姿勢も見せた奴を押し切ったんだよ。それは大勝利として誇ったらどうですか?
ジョハンソンが自主的に価値観を変えたって?そんなわけねーだろ。価値観は少なくともそんな短期間には変わりません。短期間に人の選択をドラスティックに変える手段は利益供与か脅迫です。あの抵抗姿勢から一転優等生コメントで役を降りるってのはこれはもう損得勘定、あんたらのパワーを恐れたんだよ。大勝利を誇ってはどうですか?
いいじゃないですか、「我々は荒っぽい圧力を行使した、圧力によって勝った、ジョハンソンを引き摺り下ろした」って言えば。実際やったのはそういうことなんだから、ちゃんとそう言ったほうが誠実だしかっこいい。
まとめ
個人的には別に表現の自由が絶対だとは思いません。
特定集団がある種の自分達の信じる正義に従って表現の自由を制限しようというのはいいと思うんですよ。いいっていうか、まあ勝手です。たぶんその話に賛成はしないんだけど、そういう議論を提起することを咎めたくはない。
その種の議論を提起しようって人達は、馬鹿じゃないんだから、そういうきわどい領域に踏み込むことのリスクやデメリットも込みでそれを選んだんでしょ?それはいいと思います。
今回の「シスジェンダーの役者がトランスジェンダーの役をやることは許さないぞ」っていうルール、実質的な役者の役選び及び表現に対する制限の提唱もいいと思います。
私が気に入らないのは、制限をかけるとこまで踏み込んでおきながら後から「そんなことしてない」って逃げを打ち出す奴なんですよ。*2
自分のやることに責任をとろうとしない点で単純に「小ずるい」「卑怯」「クズ」っていうのもあるんですが、社会的に言っても「制限かけてない」って言いながら実質的に制限を掛けることが出来てしまうのはあかんし、そういう力を特定の人達が握るのもろくなことじゃないですよね。
だからあのブログの人やその勢力に言いたいのは、ちゃんと「我々は我々の正義のために闘争し、圧力によってジョハンソンの自由に制限を加えた」と言えってことです。それだけ。もし勝利を手にした後で頭が冷えてジョハンソンに悪かったなと思い始めたなら*3「正しい目的のためとはいえジョハンソン個人を詰める形になったのは申し訳なく思う、大義の為だ、許せ」って言えばいいじゃないですか。
難しい話じゃないでしょ?
何するのも結構だけど、その結果については小ずるい逃げを打たずに堂々としてくれっていうだけですよ。
こんなもん何ジェンダーであっても弁えるべき最低限だと思いますがね。
ヤバすぎる映画だから是非見て欲しい。30年前のSF(っていうかずばり原作攻殻機動隊)を更に子供がうろ覚えで説明したみたいなヤバいイメージが現代の技術で連打されつつ韓国映画界の名優が無駄に乱舞する。俺は映画館で見てしまいアカシックレコードと一体となった挙句USBメモリと化すスカジョに痙攣した。ネタバレ?いいんだよこの映画はそんなことは。
サッカーの反応見てるとはてな民はやっぱ馬鹿なんじゃないかと思う
blogos.com
これの反応がほんとひどい。
これ以外もなんかW杯の反応全般ひどいけど。
「合理的」の意味わかってんのか
トップブコメ。
何言ってんだこれ。もうこの文単体でおかしいよね。
「合理的」を辞書で引いてくれよ。
他力本願かどうかと合理的かどうかは関係ないだろ!
馬鹿なんじゃないの?
馬鹿なんじゃないの?
☆つけてる奴等含め全員馬鹿なんじゃないの?
西野は日本の攻撃力よりコロンビアの守備力を信じたの。客観的な材料から「自分の力を信じない」っていうのは立派な合理性だろ。そして結果は西野が賭けた方に出たの。賭けはすでに西野の勝ち。
だから西野采配の合理性に批判を加えるなら「いやいや、あの結果はたまたまの幸運だよ」「悪い目が出る可能性の方が高かったんだよ」っていう話をしなくちゃダメでしょ。「コロンビアの守備力は怪しかった」とか「日本はあそこから得点する可能性が十分高かった」とかそういう話を。
西野には他にもっと成功率の高い選択肢があったって話を提示するのがあの采配の合理性への批判足り得るわけです。「他力本願だから」「他試合次第になるから」は合理性への批判になってねえよ。
絶対失敗できないけど俺の苦手な分野の仕事があって、俺よりその仕事得意な人がそばにいたら、やってもらうのが合理的だろ。そこで「ブブー!それは他力本願だから合理的でない!」って言い出す馬鹿がいたら困る。
あまりにも馬鹿すぎてどれぐらい説明すれば理解してくれるのかさっぱりわからずややくどくなった。
日本軍ガー(?)
まあ1人目と似た方向性の馬鹿なんだけど。
なんで他試合について予測不能だと思ってんだよ。
コロンビアはポーランドと同じかそれ以上にはもう1点を欲してなくてもはや守備的に戦うのに、セネガルがあと10分で点を取れると信じる根拠はなんなのよ。「日本もセネガルも点を取れない」に張る材料は十分にあるだろ。
この人もなんか自分なりの根拠があって「セネガルが点を取る可能性が高かった」って主張してんならいいんだけど(たとえその根拠があまり客観的でなくてももうここでは不問)、そうじゃない。
それどころか西野達がコロンビア・セネガル戦についてそれなりの根拠で結果を予測してることすら理解してない。自分が馬鹿なだけなのに西野達が馬鹿なんだとか言っている。
何が日本軍ガーだよ。もの考えられない馬鹿はどっちなのか再検討してくれ。
「忖度ジャパン」と「美しくない」とどっちも言うってアリ?
これは上の二人みたいな矛盾の話とは違うんだけど、「忖度ジャパン」と「美しくない」は全然別の話、っつかむしろそれぞれ正反対の批判じゃない?
まず忖度ジャパンって言うのは「日本の古く非合理的な体質で合理的な決断する外国人監督を疎んじておっぱらっちゃった」「勝つことより自己満足を選んだなくずども!」って非難だってでしょ?
で、「美しくない」っていうのは「合理的に勝ち進むことより大事なことがあるだろ!(勝ちより思い出)」っていうむしろ忖度ジャパン精神そのものみたいなやつでしょ?
からの結び、「長いスパンで大失敗する」「ような気がする」にいたってはそこへつながっていく論理がさっぱりわからんし。
正反対の非難論点を二つ並べる→どちらとも繋がらない謎の結び。こんなフワフワガバガバな批判でいいなら何でも書ける。少なくとも論理性をみるならほとんど0点じゃないのか。
Hagexさんは感情が豊かすぎたと思う
痛ましい事件が起きた。
ちゃんとした追悼はちゃんとした人達がやるので
前からちょっと気になっていたことを書きたい。
最後になるだろうし。
1
hagexさんはあれだけのネットウォッチャーにしては感情がありすぎたように思う。
ウォッチングやまとめ行為の一つ一つに心を動かしてるというか。
結構前だがこんなエントリがあった。
冗談めかしているが、「つまらない」と言われたことに結構心を動かしている。
おや、と思った。
普通あれぐらい長年&大ボリュームでウォッチャーしてる人は1案件1案件に心を動かさない。荒らしもウォッチャーも同じで、高段者は一個一個に怒ったり笑ったりしない。
ただ見た瞬間調理方法がわかって、その筋道のままにかなり自動的な感覚で案件を片づけていく。その中で今日はスムーズな流れがあるとか、良い集中があるとか、ちょっとガタガタしているとか、全体のフローで見ていく。
なのにhagexさんはどうも、結構一つ一つ怒ったり笑ったりしながらやっていた。
それはウォッチャーとしてはよくないことだ。対象を憎んだり愛したりするのはウォッチャーではないから。
そんな感情豊かな部分が記事の魅力になって多くのファンを獲得したのだろうけど、「この人は根っこの部分ではこういうの向いてないんじゃないか」とちょっと思った。
この人がレスポンスに対してわりと繊細な感じなのは意外だ。揉め事やら炎上やらをこつこつまとめる作業って無我の感じでやってるもんだと思ってたが結構表現としてやってるのね。 - ketudanのコメント / はてなブックマーク
当時こんなブコメも書いた。
ほんとはもうちょっと「よくないのでは?」ぐらい言いたかったんだけど、つい遠まわしなブコメになった。
2
他に覚えてるところで、hagexさんは「荒らしへの対処法」みたいなエントリを書いてたことがあった。ブコメしなかったので今すぐ読み返せないが、その内容は荒らし対処法としてあまり良くなかった。精神的に勝利して荒らしを見下してやろうぜみたいな感じの内容。
ネット荒らしの視点で言えば逆に、「あ、この人気にしいだな」「怒らせることが出来るタイプだな」とわかってしまう感じだった。精神的なところを大事にするということは荒らしに脆弱ということだから。
昔のネットのテイストレスで腕のいい荒らしが来たら、きっちり怒らせて結構引きずりまわすことができるだろうなという印象を持った。
3
「そういう道」に身を浸すにはhagexさんはちょっとバランスが悪かったように思う。人間的な感情を持ちすぎていた。それは防御が弱くなるということだから。
昔hagexさんとtopisyuさんが絡んでることがあったが、「そういう道」においてはtopisyuさんの方が2枚ぐらい格上なんじゃないか、釣り合ってないんじゃないかと感じた。
PVとか影響力とか活動性という意味ではhagexさんが上なのかもだけど、「そういう道」の格というのは何よりまず防御がちゃんと出来ているかどうかだから。
topisyuさんに絡んで怒らせたり動揺させたりするのは相当難しく見えたけど、hagexさんはそうでもなく見えてた。
4.
もしかするとhagexさんは純粋な観測者出身で、自分でどこかを荒らしたりだとか、大勢を釣ったりだとか、延々取っ組みあったりだとか、一人二役で喧嘩したりとか、そういうネットの泥遊びをプレイヤーとしてはあまり経験してなかったんじゃないだろうか。
topisyuさんや、同じくhagexさんと親交があったという山本一郎さんは、間違いなくそういう経験を5年や10年のスパンでやって、力の流れの仕組みを理解して、防御が身についている人だ。
あのあたりの人達がもう少しその辺の助言をしてあげていたら何かが違っていたかも、というのは無責任で不確かで他力本願な未練だけれども。助言するのってとても難しいし、たぶん助言であまり伝わることでもないし、駆け出しとかではないhagexさんには余計なお世話だろうし。
5
まとめ人としての速度や技術と、ウォッチャーとしての精度や安定性と、自ら煽ったりいっちょ噛みしたりしていく戦士の運動神経とは、全て資質が異なる。
hagexさんに資質とスキルがあったのは1つ目のジャンルで、そこからずるずるっと2つ目や3つ目に足場が広がっていた気がする。けどそちらの道には別の資質と身の振りがあって。
昔読んだ漫画に「呪術師はみんな自分なりの呪詛返し処理法を持っている、持ってない呪術師は…」なんて話が出てきたが、hagexさんはそこの意識がやや薄く見えた。
ソフトで人間的な感じを残し過ぎてる心が、志向する活動とはマッチしてないというか、何かしら弱点になったり変なものを呼び寄せたりする切っ掛けになりそうだと思っていた。
どこかで足場が細くなってトラブルになりバックラッシュ大炎上して姿を消すようなことがあり得るなと思っていたのであって、まさか凶刃に倒れるなんて予想してなかったけど。
6
hagexさんは腰が低く柔和でよく相手を笑わせようとする人だったらしく、全くブログやブコメから受けたイメージの通りだ。
後出し後知恵でほんとに見苦しいんだけれども、ちょっとだけ踏み出す道や選ぶ芸風が当人の資質からずれてたように思えて残念だ。
もちろんあの事件自体は悪い巡り合わせが重なった不運の為のものなんだけれども。
高遠るい先生は緒方恵美に「吐いた唾飲まんとけよ」と言える人なのか
漫画家の高遠るい先生が声優の緒方恵美に連続ツイートを送っている。
先日バズった緒方のツイート、
国会の1日分の運営費・交付金て、いったいどのくらいの額面に? それを何十日もかけて審議するのと、某問題の赤字額と比べたら…?
— 緒方恵美 (@Megumi_Ogata) 2018年4月28日
悪いことは悪い。追求も必要かもですが、その時間をかけて、もっともっと議論して欲しい、本当に必要な議題は山のようにあるはず。
本当に国民を思う議論を。どうか。
からの
私の件の発言は、多くの方が理解してくださっているように、政治的なツイートではありません。
— 緒方恵美 (@Megumi_Ogata) 2018年5月3日
私自身は特に肩入れしている政党はない。その時々でみつめて、今はこのためにここの党に…という感じで投票しています。
ではなぜ?
…よく、前後合わせて読んで頂ければ、ご理解頂けるかと思います。⇒
が見苦しいとの非難のようだ。
政治の話をしたのに政治の話ではないとして逃げたと、大雑把に言えば「吐いた唾飲まんとけよ」ということだろう。
(緒方のツイートと反響についての詳細はこのあたり参照。
声優の緒方恵美さん、極めて政治的なツイートを非難され逆ギレポエムを記して逃走 - Togetter
声優・緒方恵美氏が政治的なツイートをつぶやき、案の定…。 - Togetter)
ところで私は緒方よりずっと見苦しい人間を知っている。
数年前にあった表現規制議論でのことだ。
富田安紀子という漫画家の作品がグランドジャンプに掲載されたことについてネットで非難の声が上がった。
高遠るい先生も同業者ながら声を上げた一人だった。
1.高遠先生の集英社批判
「ジャンプ」がネトウヨ漫画家と手を組んだ。「グランドジャンプ最新号」にヘイトデモ常連の漫画家「富田安紀子」が別名で原作を担当する作品が読み切り掲載されている。富田の新作の帯は桜井が書いたようで「不逞朝鮮人」との差別文句が読みとれる。 pic.twitter.com/LNtjCEohiY
— トータス亀下 (@kameshita3) 2015年5月12日を見た私は、以下のようにコメント付きでRTした。
漫画家だからこそRTしておく。マジかよグランドジャンプ。心底見損なったぜ集英社。 https://t.co/dthm9T7O8w
— r_tkt (@r_tkt) 2015年5月12日
ここで話をすごく基本的な地点に戻すが、ザイトク会や有象無象のネトウヨが継続的にばらまいている嫌韓デマや差別発言というのは、現代先進国の倫理基準で言えばまごうことなく犯罪レベルの人権侵害であり、法整備が追いついていない日本ではマトモに取り締まられない以上、市民社会の自浄作用によって排除されるべきものである。
富田氏が常習的なヘイトスピーカーであることは議論を待たない。ハッキリ言おう。こういう筋の人間でも大手出版社のまともな本で仕事ができる、という前例をひとつ作ってしまったことが、今回の問題点である。
問題は「今回の漫画の内容」ではなく100%「人」だ、という話です。
犯罪的な輩に仕事をやっちゃ、示しがつかないでしょ
これは誰がどう読んでも「富田安紀子という漫画家はネトウヨであり犯罪者同然の輩なので雑誌から排除せよ、表現の場を奪え」という話をしている。しかも新作の内容がどんなものかは関係がなく、富田の作品であるだけで排除せよとまで言っている。
強烈な内容だが、別にこういう主張があってもよいと思う。少なくとも高遠先生が自身の裁量と責任でそういう主張・要求をすることはアリだろう。大人なんだしね。
2.高遠先生のダサダサな逃げ1
問題はこの後だ。
反響が大きかったらしく、約一週間沈黙したあとの高遠先生の態度は急変していた。
5月12日のツイートおよび13日の日記から一週間、無駄にお騒がせいたしました。
この話題について一応、私個人としての締めを書いておこうと思います。
ポルポルくん風にありのまま起こったことを話せば、「俺は企業倫理と社会通念の話をしたと思ったら、いつのまにか表現規制の是非みたいなフェーズの違う話をする人たちがすっげえ騒いでいた」となります。
ええ~~~~~?
続く言い訳はくだらないから読むのも目が腐るが、要は全力で「ぼぼぼぼ、ぼくは倫理と通念の話をしてただけで、規制とか言ってなかったし!」「誤解されちゃったんだよね、お、おかしいなあ~~ 」と芋を引くだけのものだった。
高遠先生曰く、規制の話はしてないんだと。あれだけはっきり「犯罪的」「排除されるべき」「仕事をやってはいけない」と書いておきながら、だ。なんだそりゃ?
この言い訳をそのまま受け入れてあげればつまりアレか。高遠先生は集英社に「見損なったぜ」「倫理を考えろ」「通念を考えろ」「大変な問題だよ?」と激しく迫るだけ、それを受けた集英社が自分のアイデアとして自発的に漫画家の選別と排除をするっていうシステム?
集英社が忖度するのであって高遠先生は具体的な指示をしてないから表現規制の話ではない、高遠先生の手は汚れてないって理屈か。
最初の時点で口が滑りすぎてはっきり排除の話をしてるんだからその逃げはそもそも成り立たないないが、仮に成り立たせたとしてもそれただの卑怯なクソだろ。
3.高遠先生のダサダサな逃げ2
と言っても、別にこの程度の件で集英社に謝罪も何も求めちゃいないし、不買運動とかを煽ったつもりもない。騒ぎを耳に入れた関係者が今回の迂闊さを反省し、今後慎重になってでもくれれば、酔っ払いのカラミのような私の発言も少しは世のためになったかもって事で、十分です。
酔っ払いのカラミィ?
表現を仕事にするプロが、表現規制をけし掛ける発言をするんだから、熟慮と覚悟があると受け止められるでしょうよ。それを、「酔っ払いのカラミ」ィ?
こういう風に自分の発言をあとから割り引いてジリジリ逃げていく奴最低ですよね。最低にダサい。「ぼくは酔っ払いのカラミみたいな感じにカジュアルに表現規制をけしかけます」って実は言い訳にもなってないんですけどね。結局クソなだけだろそれじゃ。
ネットの口喧嘩で劣勢になったり矛盾を生じたりした側のしょーもない逃げとして、「誰にも聞かれてないのに突然酒飲んでたアピールしだす」というものがあるけど、まさか作家業の人間が表現規制の話に踏み込んでおきながらそれの亜種をぶっ放すとは思わなかった。
しかも何の威勢を張ってるつもりなのか、「少しは世のためになったかもって事で、十分です。」とか言ってて、あのなあ、自分で自分の発言をきちんと受け止める気迫もなく反響にビビって「酔っ払いのカラミ」とか言って割り引いて逃げていくならそれはうわ言・寝言であって、そんなもんが世のためになんかなる訳ねーだろ馬鹿。
これ見た時は本当に心底軽蔑したし、「あ、この人馬鹿なんだな」とがっかりした。
4.まとめ
この顛末は何だったのかというと、高遠先生はネットの仲間と一緒に攻撃的になってる時は「抗議(もしくは出版社の忖度)によって特定作家を排除する」という前例を作らんという軽くはない働きかけをしてたくせに、その重みを問われた時に受け止める覚悟はゼロだったということだ。
「問題ある漫画家だ、排除しろ」→→→「ひょ、表現規制の話なんかしてない!」
これで緒方にどうこう言えんの?
集英社への仁義としてもどうなのかと。表現規制を求めたんだから、それを貫くもんでしょう。集英社に難しい問題を突き付けるんだから、せめて規制側として全面支持して一蓮托生するぐらいの気概は見せるもんでしょう。
それをちょっと反響が大きかったからってもうビビッて、「いや、ぼくは規制の話はしてないですよ?」「集英社が考えるんです」なんて逃げていく。そんな奴の話を集英社だってよう聞かんでしょう。困難になった途端ビビッて裏切って1人で逃げだすような奴真面目に取り合わん。「集英社も勉強になっただろう」みたいにしめてるけど、あんた既に集英社が呆れて見下す位置だよ。
一時が万事ってこともないかもしれませんが、印象に残るこの騒動を見る限り、高遠先生は政治的発言については激しさの割りにあんまり覚悟も根性も無いし、なんか当人は精一杯かっこつけながらも吐いた唾を床からベロンベロン舐め取ってるのが超かっこ悪かったですよ。
しかも威勢が良かった時に
念のためですが、この手の話題で俺が何か言った時に付き物の「また余計な話題に口挟んで」「漫画だけ描いてりゃいいのに」みたいな「口は災いの元」タイプのお節介に対してあらかじめ言っておく。
うるせえ。平気だよこんくらい。
こんな啖呵まで切ってて、結局全然平気じゃない。
お節介なファンも言わんこっちゃねえと呆れてるよ。
5.高遠先生のブーメラン乱舞
さあ最後に高遠先生の緒方恵美へのお言葉を見て行きましょう。
全くあんたにそれが言いたい。
表現者だからって表現規制に賛成しちゃいけないってことは別にない。
自分の信念と基準を示して覚悟を持って規制の話を進めるんなら1ミリも軽蔑なんかしなかったよ。でもあんたは覚悟ゼロで、ポルナレフの真似までしながら「ぼ、ぼくはそんな話していない」と逃げた。
ほんとそれな!
ものすごいふわふわ逃げ腰を見せながら「少しは世のためになったかもって事で、十分です。」などとまるで世間を善導したんだみたいな虚勢を張る奴に聞かせたい。
あとまた「カラミ」って言ってる。相当この言葉が好きなのね。
「俺は真剣に全力で言ってるんだ!」と言えず、すぐ「カラミ」とか言って逃げ道確保したがるの、かなりクソな仕草だと思うんだけど。俺が相手ならむかつく。
逃げないで欲しかったってあんたが言うか。
「モリカケいい加減にして」→「政治的発言では有りません」
「ネトウヨ漫画家を排除しろ」→「表現規制発言ではありません」
少なくとも前者が後者より無理があるってことはないと思うが。
大幅に譲ってもお揃い程度だろう。
6.高遠先生ってさあ
ネットや漫画の中でたまにすごい攻撃性を出すけど、あれってネット中毒じゃない?
昔から残酷描写はあったし生きてくことや世界への懐疑みたいなテーマはあったけど、自分自身で懊悩して描いてる感じはあった。
ある時期から年々そういう感じが減って雑になってきた。
いま作中で米軍司令官がグロ惨殺されたりしてるけど読んでて何も感じない。
今の高遠先生から出る攻撃性ってtwitterのタイムラインのコピペじゃね?
上で論ったかつての唾の飲み方、異様に激しくガーンといったあとに分別が出てきてモゴモゴ言うの、ジキルとハイドみたいな感じがある。
外付けの攻撃性が自分の覚悟を超えて出るからシラフになっても責任が取れない。
それはもう現代病かもしれんし、
そういう意味で緒方恵美も罹患しかけてるのかもしれないが、
どう見ても高遠先生は同病のより進行した患者なんだが。
肺病人が風邪っぴきに養生の説教してるみたいな観がある。
追記
いただいたブコメについて
飛躍と言ってないことを言ったかのような操作が連発された文章。私怨?ヘイト前科持ちが留保なしにメジャー紙に載るのを批判するのは健全でしょ。 - murasakizaruのコメント / はてなブックマーク
「排除せよと言ったこと」を非難などしてないんだが本当にちゃんと読んでくれてるのだろうか。
そして「飛躍があるのであれば具体的に箇所を指摘してほしい」
と送ったがid:murasakizaru2日経ってご返答いただけていない。
「言ってないことを言ったかのように」についても
表現の自由は無敵じゃない。他者の人権を侵害するヘイトスピーチであれば制限されて当然だし表現の場から排除されるのも当然。このツイートの後に法規制もできたしその他の表現の自由を侵害するものではない - rocoroco3310のコメント / はてなブックマーク
同上。
「排除されるのは当然」、結構。
責任もってその論陣を張り続けてくれと言ってるだけ。*1
反響にビビってポルナレフの真似などと寒いことしながら「そんなこと言ってない」と逃げるのではなくな。
その逃げは高遠が今回緒方がしでかしたとして責めてる進退とどう違うの?とも。
「誰が表現の自由は無敵であり規制は許されない」なんて言ってんだ。
馬鹿でも誤読しないように「その主張はあり」ってくどくど断ったじゃん。
ていうか俺の文が長くて読みにくいのだとしても
タイトルから趣旨が書いてあるのにこういう読解で返してくる人にどうすればいいのか。
id:rocoroco3310さんに再反論があればうかがう。
先生っていう必要ない気がする(´・_・`)高遠るい呼び捨てでいい。むしろ片方呼び捨てなのに片方に先生ってつける意味わからない - mutinomutiのコメント / はてなブックマーク
有名人について書くときは呼び捨てでOK。
たとえば芸能人について評論するときに「松本人志さんは」と書く必要は本来ない。たとえ松本と面識があっても。
一方でこの文は特定有名人宛てに書いてるので「高遠るい先生」。
別に緒方恵美にぞんざいにしたいわけではないです。
オチ
もう一日、考えた。これからする連ツイは性質上、常体・敬体いずれの文体で書くべきか迷ったが、より簡潔かつ正確な記述のため、対象を定めたメッセージ部分以外は、あえて常体を採る。
— r_tkt (@r_tkt) 2018年5月6日
次の日にはこうなってた模様。
言わんこっちゃない。
これやっぱり病気でしょ。
この漫画とラノベはよかった。
新装版は嫌な表紙になってて貼りたくない
*1:もちろん気が変って撤回したくなったなら「言い過ぎました、撤回します」はOK。
『アナ雪』を自己同一視出来る女はヤバいのでは
anond.hatelabo.jp
なんか東たちと話が噛み合ってなくない?
1.反論対象と話が噛み合ってない
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
これは酷いよ。
東たちはヒーローを求めてはいないじゃん。
あの映画についてもそこを不満に思ってるわけではないじゃん。
ちゃんと東たちの主張読んだ?
東浩紀さん(以下、東):僕たちの共通意見としては、まずクリストフがかわいそう過ぎるのではないかと。アナとエルサの仲の良さを描きたかった映画なのはわかる。それなら最後にクリストフをダッシュさせることはないのではないかと。
東:エルサとアナが姉妹だってことになってるけど、母と子だったらリアルだよね。「あれ? 俺いらなくね? すみません!」。出産もそうだよね。すごい勢いでダッシュしても、「子ども生まれる! えっ生まれた? あっ俺ら関係ないですよね〜」みたいな。
夏野:しかも、それだけ一生懸命やっても「あなた間に合わなかったよね」ってめちゃめちゃ言われる。どんなにやったって浮かばれない。
こう言ってるよ。
「脇役にしてもやけに惨めな姿に描かれてないか」と。
当人なりに必死に動いたけど実は主体的な解決能力を与えられておらず、ダッシュは徒労である。主役級の露出でありながら、大団円でも「ご苦労」と褒美与えられて終わるだけの存在。
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。
繰り返し。
東達はヒーローやプリンスを求めてる?
もしくは、男はヒーローやプリンスを求めてるんだとか言ってる?
そうかなあ?
東:(中略)この間まで、ディズニーは王子様を出していたけど、90%の男たちがついていけないと。「俺に王子とか、無理無理」。ちょっとマーケットが引いてきたので、90%の男たちに向いてきたと。
こういう見解のようだけど。
2.アナとエルサは「ありのままのわたし」?
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
ちょっとまって、もしかして
アナとエルサは「ありのままの等身大に描かれている」のにって話なの?
その2人はあの大災害を終結させちゃうんだからヒーローの力の持ち主では?
しかも美しいんですが?お姫様ですが?
あんなのが「ありのままのわたし」なわけないじゃんよ。
そんな女が何人いるというのだ。
すごいな!あんな可愛くて美人で有能で世界を思い通りに動かす超人的な女を「ありのままのわたし」って言ってんのか。
妄想だよそりゃ。
この書き手の高揚感って一昔前の無邪気な男がヒーロー映画を見て自分を同化させて気分よくなってるのと同じやつだ
黒瀬:確かに、今までディズニーはすごく抑圧的に女の子を描いてきたから、それへの批判に応じるために、女の子の物語を作るのはわかるんです。けど、女の子の物語を作るからといって、男が全く必要ない物語にしてしまってはダメでしょう、ということですよね。それでは今まで男が女にやっていたことを、単にひっくり返しただけになっちゃう。
この危惧の通りのとこに陥ってるようにしか見えない。
昔男性がヒーロー的な男の物語に接して「これが男だ!」と気が大きくなったりしてたように、書き手は女がヒーローな映画としてのアナやエルサを「これがありのままの女だ!」って気が大きくなってるだけでは?
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
うっそでえ~~~~。
抑圧を感じてる女性はいっぱい居ても、「私、プリンセス像を期待されてる」なんて感じてる女性はいないだろう。
いないよね?
「プリンセスを期待されてる」と思ってた女性も、「アナやエルサのように可愛く美人で一度荒れれば国中を巻き込み収拾に向かえば事態を思うままコントロールする超人がありのままのわたし」って思ってる女性も、それは相当な妄想癖や自意識過剰であって*1、そんな人がそれほど大勢いるとは思えない。書き手の特異な見解でしょそれ。
3.ヒーロー妄想の単なる逆転
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
リアリズム映画として全員が脇役みたいな映画(最近だとシンゴジラとね)はあると思うが、アナ雪を男女論として論じ、ヒーローのようなアナやエルサを「ありのままのわたし」と寝惚ける同じ口で脇役のクリストフを「ありのままのおれ」だよっていうのは、
黒瀬が危惧した通りの単なる異性を蔑ろにするヒーロー妄想の男女逆転では。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
あんたが「ありのままのわたし」として認定したエルサの力はハリウッド暴力映画でもなかなか出てこないぐらいの超暴力なんですが。あんたのような消費の仕方で見るならエルサは嫌ボーンとか俺TUEEEに近いよ。
自分を理解せず受け入れない世間に背を向けて本当の力を振るったら社会が震え上がるほどパワフルで、みんなが謝りに来て機嫌を戻してやるんだけどなんか正義としてたたえられるつつ都合のいい悪役(実力的には相手にもなってない)がしょっ引かれて大団円、みたいな。セカイ系となろう小説のあいのこみたいだ。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
あなたの説明を聞いてる限りだと、あなたはアナとエルサの超人としての側面に女を同一化して自尊心を得てるようにしか見えない。「ウーマンパワー!」「ブラックパワー!」みたいな。
4.同じ申し立てでも扱いの違うはてな
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
semimaruclimb.hatenablog.com
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「男の扱いが可哀想じゃないか」という申し立てだと
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「サーミ人の扱いが可哀想じゃないか」だったら
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
まとめ
もちろん『アナと雪の女王』はそんな浅はかな作品ではない。
増田の書き手の浅い見方や論理展開ではこうなってしまう、という角度の話をしている。
書き手が男性か女性かも知らないけど女性の気持ちを広くすくい取れてるようにすら思えない。
リベ的な変な勉強ばっかりしてるけど一般女性の平均よりはるかに頭悪い奴、のように感じる。
あと時代遅れは「アナログ」ではなく「アナクロ」な。「こっちの此岸」「あっちの彼岸」も気になったが、どうもちょこちょこ言葉の意味をしったかぶりで使ってるなこの人。
何が言いたいかっていうと、
馬鹿の低レベルな政治アジに『アナ雪』を使うなということ。
そんなしょうもない作品じゃないんだ。
これでも読んでろ。
*1:単にそういう願望充足ファンタジーとして楽しむのには1ミリの反対も揶揄も加えるものじゃないですよ。社会論として言ってるからんなアホな、とつっこんでいます。