主語を拡大する人の動機について
kopelani.hatenablog.jp
何度目だナウシカという感じ。
人が何故この行動をとるかについてそろそろ解説が必要だと思って書く。
彼等は誤認ではなくわざとやっている
このいわゆる主語拡大、
具体的に言うと「嫌な奴に遭遇して不快な思いをした時に、相手になんらかの属性を見出してそこを膨らませてから当該属性を主語に世間に向けて吠える」というこの行動、これをやる人は未だに絶えないし今後も絶えないわけですが、こういうのを”偏見”と呼ぶのは厳密にはちょっと違うなと前から思っています。
これをやる人達は短絡や誤認や偏見でこうなっちゃってるというよりは、かなりの部分わざとやってるんですよ。どれぐらい意識的かは個人差あれども。わざとやるというからには動機やインセンティブの説明が必要ですが、この行動のインセンティブはなんなのかっつーとこれをすることによって被害構造ロンダリングができるのです。
被害構造ロンダリングはこんなにお得
元の話のままなら「私という個人が今日出会ったAという個人に嫌な思いをさせられた」という個人対個人で終わってしまいます。いかにAに非があったとしても”私”はA個人に対する被害者でしかない(実際そうなんですが)。
それだと面白くないわけです。広く人に聞いてもらえるような迫力が出づらいし、どこまで行っても補償はAにしか求められないし、そんでAが目の前にいなかったり今後も会う予定がなかったりそもそも昔の話だったりすると、プンプン怒ってる気持ちのぶっつけどころがない。困ったと。
で、こういう時に人間が半ば無意識に思いつくのが先述の被害構造ロンダリングです。
「私はAという特定個人に被害を受けたのではなく、(もっとずっと広い)これこれの属性の集団からの害を被ったのだ。あの属性の奴等を蔑視して攻撃せざるを得ないな!」みたいなこと言い出すんですね。
これは何がお得かというと補償請求対象がめっちゃ広がるわけですよ。
すぐ裏にあるのは「私に許して欲しければ当該属性の奴等は釈明や謝罪をしろよ?ん?」という気持ちです。
要するにぼくの(私の)この収まらない憤懣を、嫌な思いをさせてきた当人以外の無関係な人達にも引き受けてほーしーいーっていう心の動きなんですよね。
こりゃやっぱり本質的に無分別な子供の駄々ですぜ。こういうすね方が許されるのは本来なら幼少期だけで、成人してまでやるこっちゃないし、41歳のいい歳の男がやってたらみっともないと思うんですがどうでしょうね。背中見てる小さい子達にもいい影響無いだろうし。
被害構造ロンダリングはこんなに危険
で、この被害構造ロンダリング、最も顕著な例が観察できるのはもちろん女叩き・男叩きです。ミソジニーの人達やミサンドリーの人達はどのような嫌な記憶も補償請求対象を人類の半分まで拡大できるので無敵です。
あとは日本人叩きも手堅い。何か嫌なことがあるたび「こんなことが起きるのは日本だけ、日本人特有の島国根性~」とか言い出しておくと補償請求対象が1億人超になるのでこれもなかなかつよい。
しかし問題は、
このやりくちが本当の意味で奏効するのか、報われるのかということです。
こういう心の動きはそれを聞くほうの人達もわかっている(言語化・整理してるかは別として)ので、やっぱり受け止めないですよそんなには。*1身に覚えのないことで雑に巻き込まれて補償請求されたり反省を求められたりすると誰でも反撥するし。謝っちゃうのは凄く気弱かマゾか吸血体質の共依存者ぐらいです。
kopelaniさん自身だって自分がレシーブ側に回されたら(”男”とか”既婚者”とか”40代”とかで巻き込まれて)「嫌だよ俺関係ないし」ってボール落とすでしょうに。
結局このロンダリングをやると見かけ上の補償請求対象はどこまでも広がるものの、実際にもらいが増える訳では無いんですよね。むしろその逆で。
女まるごと敵視してれば女性の友人が出来る機会を自分で潰してるだけだし、男全体を憎悪してれば毎日血圧が上がって健康壊したりするし、得る仲間は同じ憎悪の持ち主(つまり同じぐらい頭狂ってる)ぐらいでしょう。生活上の障害を意識するたびに日本を憎悪してればいつの間にか悪い種類の左翼になって頓珍漢な戦いに人生を空費するし。
だから嫌な人に会って嫌な思いをしたらさっさと忘れることにこそ努力すべきですし、あとから反芻しだしたら黄色信号、恨みの対象を拡大するような論陣を組み立てだしたらもう破滅的です。誰の破滅かって当人の破滅ですよ。
無闇な主語拡大論法*2の使い手は自分のだらしない性格や憎悪や狂気の害、それらについて周囲に気付かれてることの害、このあたりに警戒心を持って生きるべきです。