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感情の育て方

感情の育て方

ここでいわれてるような「感情」が何によって育つかと言うと知識だ。
たくさん知識を取り込んで自分の中に概念を肥らせるほど人間は何かにつけてうるさく怒るようになる。

たとえば『進撃の巨人』の映画を見に行って、映画オタクでなければ「なんかつまんなかった」でさっさと忘れて終わりだ。これがオタクだと、脚本がああだ演出がこうだ撮影がどうだと知識があればあるほど多角的に不満が渦巻いてなかなか忘れない。
町山だの樋口だのの人名や彼等の越し方まで知ってたりすると更に言いたいことが増えて、わざわざ「あれのダメさ」についてのねっちりしたブログ記事を書かないと気が済まなくなったりする。

感情を育てるのは幸福なことか

知識を増やし、概念を溜め込むことが果たしていいことなのかどうか、これは難しい。本来無用である怒りも悲しみも喜びも人にとっては毒だ。
たとえばずっと穏やかに暮らしてた人が政治厨になってしまったとたん毎日毎日怒って暮らすようになる。自分の生活には何も起こってないのにずっと政治のことを考え、四六時中感情が千々に乱れる。
政局に何の影響も与えない立場で「当事者意識」を持つのはミクロに言えば妄想の極みであってキチガイへの直通パスだ。

感情豊かな人間になりたければ

とは言っても現代ほとんどの人間は概念を仕入れ続けて暮らすしかない。概念の乏しい人間はただの愚図ということになる。仕事にせよ雑談にせよ概念をどんな風にコレクションして整理しているかの見せ合いというところがある。
そこで元増田一身上の話に戻って、この人は別に生まれつき感情が弱いとかどうとかいうことではなく、単に概念が足りないのだ。

伊藤計劃の「ハーモニー」で、感情が存在しない人間が登場するが、現実世界における人間にも、感情の強い人間と、感情の弱い人間が居るのではないか。

『ハーモニー』に「感情が存在しない人間」や「感情の弱い人間」は登場しない。
ボンヤリ読んでるからボンヤリした理解になりボンヤリした記憶になる。概念があまり育たない。もっとねちねちと読んでねちねちと感想を捏ねて量も積めばそのうちに細かいことに怒る人間になれる。

感情豊かな人間速成パス

愚図でも短期間で感情豊かな人間になる近道は、さっきも挙げたが政治厨のような概念パックを選ぶことだ。*1 わかりやすいストーリーがあり、シンプルな体系があり、憎むべき敵がいる。骨格は1日で頭に入るので、あとは安心して細かい概念収集で進歩したり多少の個性化したりを楽しめる。twitterでデビューすればそのうち同志が毎日励ましてくれる。凄い勢いで感情豊かになることは確約できる。

現代は感情豊かな人間だらけ

本をボンヤリ読む癖があるなら直したほうが良いが、この人が言ってるような感情は豊かじゃないなら豊かじゃないほうがいいぐらいのものだ。
現代ほど感情豊かな人間が増えてしまっている世界はないだろう。ネットの行き渡っていなかった世界、たった四半世紀前と比べても隔絶した世界になっている。
子供が居るのに仕事でもない感情豊かな議論をネットで毎日何時間もやってるような大人がゴロゴロ居る。完璧にキチガイといえる。


個人的にはこれ以上感情豊かな人間なんぞ増えんでよろしいと思う。むしろ瞑想にトライしてはどうか?瞑想は概念のない人ほど早く進む。手放さなければいけない妄想や執着を元から持っていないからだ。
元増田はキチガイの巷のネット議論では遅れを取る人かもしれないが涅槃には近い人かもしれない。
どちらが素晴らしいことなのか、考えるまでもない。

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*1:気取ったものが嫌いなら地元の族の抗争とかでもいい。