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主にはてなブログやはてなブックマークから気になったことを

バカが正義に参加するのはやめて欲しい。

mainichi.jp

南海電鉄の40代の男性車掌が日本語で「本日は外国人のお客さまが多く乗車し、ご不便をお掛けしております」との車内アナウンスをしていた

  車掌は同社の聞き取りに「難波駅で車内の日本人男性客が『外国人が多くて邪魔』という内容を大声で叫んだのを聞き、トラブルを避けるために放送した。差別の意図はない」と説明したという。

このニュース、ちょっとブコメがやばすぎて唖然とした。
人気1位のブコメとか凄いぞ。


バカの特技は例え話

南海電鉄:車掌「多くの外国人で、ご不便を」 - 毎日新聞

めくじら立てんな、というブコメはアホか。差別だよ。言った側でなくて、言われた側の問題なのよ。外国で「ジャップのせいでご不便を」と言われたらどう思うかで考えろよ。

2016/10/11 06:40

なんでこういうバカ丸出しのブコメが1位になるんだろう。
つーか「例え話が必要ない場所で例え話をする奴はバカかインチキ」という俺の信念がますます深まった。くたびれはてこさん騒動の時も感じたが、異論や反論に対していちいち例え話にそらしてから返答しようとするんだよな。


外国で「ジャップのせいでご不便を」と言われたらどう思うかで考えろよ。

なんだこりゃ。
アナウンスが「チャンコロのせいでご不便」とか「毛唐のせいでご不便」とかだったらその例え話で正しいよ?(つかそんな例え話になるまでもなくアウトで車掌クビだろ。) でも違うだろ。 質や程度を故意に操作してる時点でもはや「例え話」とは言わないことを、世の中の頭悪い例え話ユーザー達はいい加減理解して欲しい。


つーか「ジャップ」の時点で差別用語だからな?w
こいつの例え話は「差別用語使ったら差別だろ」って言ってるだけ。
そして南海電鉄のアナウンスに差別用語は含まれてない。
ねえ、このブクマを人気1位にする人達頭大丈夫?


これだけすり変えて、というか言ってない差別用語を付け加えての「例え話」が許されるならどんな発言でも差別発言に出来るだろ。


旅行客に「カナダの人かい?日本を楽しんでね」っつったって差別発言になるわ。

めくじら立てんな、というブコメはアホか。差別だよ。言った側でなくて、言われた側の問題なのよ。外国で「ジャップかい?カナダを楽しんでね」と言われたらどう思うかで考えろよ。

という「例え話」が成り立っちゃうんだから。


こういうバカな人達が話に入ってくるのはまずいと思わない?
なんでこれを1位にして、その状況に誰も異議を呈さないんだ?


正しくは

このケースをどうしても例え話にしたいなら、正しくは

外国でお前がarien・touristの立場で「外国人のお客様のせいでご不便を」と言われたらどう思うかで考えろよ。

のはず。
それでどう感じるか考えなきゃダメだろ。
(個人的には「不適切」&「わさび寿司と一緒にするのは気の毒」という感想)


内容を盛ったりすりかえたりした時点で例え話の説得力はゼロだし、その話者の価値もゼロだろ。そこは必ずきちんと指摘して欲しい。どんな時も。



正義だからこそチェックは大事

差別反対というのは文句なく正義の立場であって、だからこそ正義の立場に非論理的・非合理的なバカが入り込んでないかどうかは厳しくチェックしないといけない。今回当該ブクマと☆つけた奴等は完全にバカ。


バカが正義に参加するのはやめて欲しい。小さくは議論の邪魔だし、大きくはナチやポルポトだし。バカが自分で気付けないなら周りが「お前のその発言はバカ丸出し」と指摘しなければいけない。正義っぽい発言であっても、というより正義っぽい発言だからこそ指摘しないといけない。
バカが野原にいるなら当人もまわりも和むが、バカが正義に参加してるのは危険。


そもそも正義というのは社会を営む上での必要悪であって、避けられる限りはなるべく触らない方がいい。ディストピアSFの名作に共通するのは正義が市民1人1人の身近にある社会を描いているということ。


差別性判定について

ここから少し真面目な話で、、
差別の判定は被害者側と加害者側と2つとるべきだと思う。



現状、「差別」の判定レンジをガバッと大きく取るのは、権利を侵害される人達を救う為の緊急避難であり、「現に権利を侵害されてる人の立場ではやってる側の意図や正味なんか関係あるか!」という理屈だ。これは現に苦しめられてる人の権利回復のためのルールとして正しい。


一方、直接の被差別者でない横から判定出来る人間はむしろ、冷静に正味を見なければならないし、見る余裕がある。「多様な手段で人の権利を侵害し続ける腰の座ったレイシスト」から「人の気分を害する発言をしてしまった人」まで広いグラデーションがあるのが現実だ。 ここを見たがらずに「全て同じ差別者だ!」と断罪したがる人間もろくな連中ではない。 個人個人の事情を考慮に入れずひとまとめにした人間を裁いたり攻撃したりするのは気持ちいいなという欲望じゃないのかそれ。


「判定に引っかかった時点で問答無用!ズバーッ!」っていうのは気持ちいいからな。バカにとっては難しいこと考えなくて済むからラクチンだし、相手のことを考慮せず裁くのって自分がすごく偉くなったみたいな気分がするし。


今回この車掌の発言はアカンかったけれども、注意や指導は必要だけれども、外国人を狙って嫌がらせをする人間とこの車掌を同じカテゴリに含める奴も明らかなバカだ。そういう雑すぎる判定は、先述した通り、現に権利侵害されてる人を救う場面だけ許される。


この場合の加害者側に配慮するなんての最低の差別。意図しないからこそ最悪。アベノジタミ政権下のパチズム支配下ならなおさら。 - shidehira のコメント / はてなブックマーク
こういう人間な。どうだこういう奴。
そもそもこういう奴のどこに被害者への思いやりがあるだろうか?
「何をされても仕方ない人種」を何の酌量もなく断罪する快感を追い求めてるだけだろ。
攻撃するのが好きなだけ。それもなるべく一方的な立場で。

あるべき形の提案

差別される側からすると、差別にグラデーション、つまり「認めてよい差別」を作られたりするのは大問題だ。認められない。「こういう意図だったからセーフ」という釈明の余地もダメだ。当然だ。


しかし差別「してしまう」側の意識改革や更生の側面では、それはよくなかった・二度とやらないという前提の上で、「悪気はなかった」「攻撃するつもりはなかった」というケースは実際あるし、認めてやらねばならない。
「雑踏で立ち小便をして人の足にかけてしまったアホ」と「悪意を持って特定の人を棍棒で殴るのが趣味のアレ」ぐらいには差があることを同じ傷害罪にするのは犯人更生の観点からすると悪でしかないだろう。彼等を犯罪加害者だと考えてみればわかる。


直接差別されてカッとなってる人や生活が立ち行かなくなってる人に、差別的な言動を取った人間の内情まで考慮するのは難しいし、考慮することで権利侵害が放置されてしまうヤバさがある。そこは問答無用で権利回復されなければならない。


ならば直接差別されてない、差別に反対する善良な市民のすべきことは岡目からの冷静な判定と仲裁だ。差別自体を認めず、やった側の差別性の濃淡を論じられるのは第3者だけだ。はてなでブコメしてるような人達の本来取るべき立ち位置はどちらなのか?


差別に与するのか、一見反差別風だが雑な攻撃欲に身を浸すだけの「バカのくせして裁判官気取り」に加わるのか、どちらでもない第3の道を取るか。
1つ目と2つ目の共通点は「もの考えるの苦手なバカにおすすめ」ということだ。




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 ↑バカに共通する思考



追記 「お前の発言はバカ差別、バカに対する疎外ではないか」というツッコミに対して。

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最後の漫画+一文とあなたの正義からバカはいなくなれってブーメランで笑いました。バカは放置でなく啓蒙が大切ですよ。間違えれば周りが修正できます。難しいが正義はみんなにとって正義でなければ意味はありません

2016/10/11 21:11

いいツッコミだと思いますけどね。



確かに私は「バカは正義からいなくなれ」と言いました。
でもこれは差別でもなんでもありません。
これを差別と感じる人は、正義に携わることを権利だと思っています。


私は全然そう思わないのでそこに齟齬があるんでしょう。
正義なんてたいした価値はないし、関わらないで済むなら関わらない方がいい。
正義についてあーだこーだ議論するなんて、原子力発電所の現場責任者みたいな「社会の中で誰かがやらなきゃいけないとしても高い能力が必要で責任が重く疲れるばっかりのなるべく近寄りたくない罰ゲーム*1」のように感じます。


原発関連の仕事をその能力のない、頭や性格が雑な人に志願してほしくないでしょ?だからやめてくれって話です。バカが正義議論してたら折りに触れて「お前はそんなことに携わる能力がないんだからよせよせ、バーカバーカ」って言います。そんなのに携わらなくても当人も周りも幸せに生きていけるんだから。

あなたの正義からバカはいなくなれってブーメラン

「あなたの正義」!
勘弁して欲しい。
私もそんなもんの主任には絶対なりたくない。
正義の話なんてつまらないし不毛だけれども、明らかに頭悪い人が正義を主導してたら突っ込まないと危ないので、嫌々突っ込んでいる。


エントリタイトルはこうだけども本文を最後まで読んだ人ならわかるでしょう。
バカに限らず心ある人は全員差別からも正義からも離れた方が良い、というのが私の主張です。


・差別するバカ
・差別に対応する正義のバカ
・第3の道


人類全員が第1の道・第2の道と縁を切れば世界は平和です。
抽象的に言えば、能力と責任感ある貧乏くじ1名が正義のコートに取り残されて、嫌々ながら正義を規定してるという社会が私の理想の社会です。みんなで正義の議論してる社会はあまりいい社会ではない。


差別に苦しむ人がいなくなってみんな楽しく暮らせるなら正義なんかどうでもいいし、正義好きな人達は苦しむ人の救済より正義の威で誰かをしばくことばっか考える。正義もほんとはない方がいいでしょ。今はまだ必要悪だとしても。


バカは放置でなく啓蒙が大切ですよ。間違えれば周りが修正できます。難しいが正義はみんなにとって正義でなければ意味はありません

「バカを啓蒙・修正してあげる」とか「みんなにとっての正義」とか、その発想は既にだいぶ危険なのであんまり関わりたくない…。要するに私は正義が嫌いです。
 

そういう意味でもう一つ。 

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賛同できない。同じ論旨の中にも多様性があるのは当然。それをバカと切り捨てるのは、正義をめぐる別の論戦を始めているだけのような気がする。

2016/10/11 16:47

いや、正義に多様性なんか要らないから。正義は最小限であって欲しい。
そのうえで更に、このエントリでは価値観の幅ではなく目に余るほど非論理的なブコメや攻撃欲のみのブコメだけを最小限で槍玉にしています。


つーか「多様で芳醇な正義を内包する社会」とか超怖いでしょ。
それが導くのは内戦ですよ。
 
 

追記2 話になんねえ

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「本日は外国人のお客さまが多く乗車し、ご不便をお掛けしております」って、例えとか関係なく素朴に捉えて全くダメだろ。外国人=迷惑、ってどういう考えだよ。ネットじゃねーんだよ

2016/10/11 15:17

ええー。これが1位?


・例えとか関係無いなら例え話するなつってんだよ。
・だから車掌の発言がオーケーだなんて少しも書いてないだろ。
・「外国人=迷惑」? はあ?  


こいつ明らかに読まずに(or読んでも理解出来ずに)ブコメしてるよなあ?
だけどこれが1位。
ハア…。


俺への反感を結集するなら

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本題ではないが、このエントリの度重なる「バカ」呼ばわりと最後のマンガ画像の転載が私には受け付けられない。まあ私の感性の問題かもしれないが。

2016/10/11 17:43

こっちの方がよっぽどまともな見識の指摘だと思うけどな。
反論出来ないし。


なのに反感ブコメの中で最も頭悪いトンマコメントがぶっちぎりで人気1位。
ほんとにダメだこりゃ。 
今回はもう諦めます。
 
 
 
 
 

*1:ごめんなさいねその仕事の人。やってくれてる人に足向けて寝られないなと思いますよ。

いやAVはめっちゃ関係あるし、話し合いには限界があるでしょ。

 

anond.hatelabo.jp
AVの害について訴えるこのエントリと反応について。
 

話し合いで自覚出来たら世話はない

AVの弊害 男はみんないい加減気づいてくれ

AVなんも関係ないです。相手を尊重するSEXができないその男が問題…というかまともに話し合いもできない二人に問題があるというだけ。むしろAVに原因を押し付けるのは問題の本質から目を逸らしている。

2016/09/24 21:17
b.hatena.ne.jp


この理想主義すぎるブコメが星1位になっちゃうのいかにもはてなって感じ。
いやいや、無理でしょ。
個人の中で既に育っちゃったファンタジーやモノの見方を話し合いで矯正するって滅茶苦茶大変でしょ。そんなん成功してるのどれほど見たことあるのよ。
これにスター押した人達ちょっと現実から目を逸らして無意識の願望や理想でスター押しちゃってるでしょ。


たとえば女性でも、思春期に刺激多目に盛った少女漫画に触れてくうちにそうと知らずに恋愛観に影響を受けてて現実に適応できない特殊なスタイルやファンタジーを抱えてましたーなんて人達とか実は珍しくない。
papuriko.hatenablog.comこのエントリは面白いから読んで欲しい

程度の差はあれみんなこういうのはあって、全然特殊な変な人ではないと思う。そしてこういうのは気付ける人ですらわりと10年単位の時間が掛かってやっとこ自己分析や整理がついたりする。無自覚なファンタジーはそれぐらい厄介だ。

脳についた癖は気付けてもすぐに治らない

というか元エントリのこの問題彼氏のなかではもうAV的な進行のセックスはファンタジーですらなくなってるかもしれない。つまり、「それ相手痛いだけだよ」という指摘を素直に受けて自分の思い込みだったと意識では気付けたとしても、長年そういう妄想を繰り返してオナニーしてたらそのイメージでしか興奮しないし気持ちよくもなれない脳になってることはありえる。もう既に彼の中では幻想や虚構ではなくリアルな快楽とはそれ、になっちゃってる。そうすると脳の矯正は結構努力と時間が掛かる。


自分の脳に変な回路が出来ててそのせいで現実(目の前の彼女)と齟齬が起きてること、その齟齬は継続的で意識的な努力をあるていどの期間掛けてしないと治らないこと。このあたりのことを理性的に俯瞰的に捉えてリハビリ頑張れるのはかなり知能と自律性が高い人間なんじゃないか。そういうことを対話で一時期に言われて頭で理解し感情で納得するとなるとこれは結構ハイスペックな人間ではないか。


自分の快感の回路を「いけません」「間違いです」と言われて否定されて、未知の想像も信用もできない別の回路を作れと言われるわけだから、軽いシャブ中の更生に近い。ましてそのような問題の構造もわからない状況であれば、「いや、彼女の方がセックスをわかってない」というような発想に向かって話を聞かなくなり口論になることもあるだろう。というかそっちの方が想像に易い。

コンテンツファンタジーの害をどうするか

であるから、AVは(AVに限らずコンテンツは多かれ少なかれ)実際に害を及ぼしている。関係なくなんかありゃしない。その害は対話で取り除けるとしても小さくない労力が掛かる。大抵は対話だと反発するので、本人の時間を掛けた成長とか内省とかで取り除かれる。だとすれば交際相手が変なファンタジーを持ってると、出会ったタイミングが早かったと思って我慢するかさよならするかしかなくなる。これは膨大な損失だ。


もちろん恋愛やセックスに妄想とファンタジーは込みのものだし、多少現実から離れたファンタジーを持つことまで否定される必要はない。相手が理解出来て共有したり付き合ってあげられる程度のファンタジーだったら楽しい要素になりうる*1


また、現実から慣れて刺激の強さを追及する娯楽コンテンツ自体を否定することはできない。現実と違うことを弁えて楽しめるならどんなファンタジーも害は少ないだろう。ただ若年者がコンテンツを楽しむ時には並行して、おぼろげなアウトラインだけででも「ファンタジーと違う現実*2」を提示しておくことが親切だと思う。


コンテンツで提供される刺激やファンタジーは絵になる派手なものが多くて、AVのセックスはすごい強さでガンガンピストンするし、少女漫画の恋愛はドラマチックな葛藤や障害を飛び越える。現実のそれらはもっと繊細なところにたくさんの感じ取れるものや面白みがあって、その価値は決してコンテンツに負けないものだけれども、派手な刺激だけを探していると細かいものは感じ取れなくなってしまう。


こういうことに、もし社会的に取り組むとしたならどうすればいいのか。グロい方向になるが官製AV官製少女漫画も1案だろう。しかし、商業ベース上のエンタメコンテンツが少しずつ進歩していく、ぶっ飛んだ刺激以外のものを提供するようになる、という方向性が1番期待できるような気がする*3

 

*1:ただそれがファンタジーや演技的なものだと両者とも気付いていることは楽しさを些かも損じないと思う

*2:「現実」をどこに取るかも紛糾してしまうのでおぼろげなアウトラインでしか示せないと思う。

*3:個人的には少女漫画は時代とともにドラマチック恋愛ばかりじゃないように多様化・進歩してきてるのに対して、AVが提供するのは未だにひたすら雑な刺激一本やりが多く、ジャンクフードなりの進歩すら遅れてないかと思う。 

人間を品評して許される場合・許されない場合

  

1

anond.hatelabo.jp

宇多田の劣化の件とかブスのデザイナーの件とかに対して発狂したように容姿叩き叩きをしてる人達がいるけど意味が分からない。普段散々「才能ない」とか「つまらない」とかいう言葉で他人を叩いてる癖に、なぜ容姿だけは叩いちゃいけないんだよ。才能や面白さだって、容姿と同じように努力だけでは改善に限界がある事柄じゃん。才能叩きしていいなら容姿叩きしたって問題ないだろ。

良い質問です。
答えは簡単です。



宇多田ヒカルやブスのデザイナー(誰?)は容姿で売ってないから容姿を品評してはいけないんです。


たとえば石原さとみなら容姿を品評してかまいません。
私はシン・ゴジラカヨコ・アン・パタースンの役作りはとてもいいと思いましたが、何回かある全身が映るシーンでは、「ああ、姿が良くないなあ」と感じました。石原さとみは脚がやや短いうえ、身長が160cmもないんです。”美人女優”枠はやっぱり170cm以上は欲しいなと、そこは石原さとみの弱点だなと個人的には思います。
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こうやってればわからない。


2

こんなこと書いてる記事をもし石原さとみ本人が読んだら(読むわけねー)気分悪いかもしれませんし、ちょっと傷つくかもしれません*1。けれどもこれは書いていいんです。石原さとみは自分の容姿を売りにして、「かわいい」とか「美人」とか品評され、そのような評価のうえで利得や仕事を得る立場の人だからです。自分で女優業(俳優業)を選んだ人の容姿については、まあ、無関係な人間が好き勝手に品評してもいいのです*2


役者親子の高畑淳子・裕太には「顔なげーな」と言ってもいいんです。顔は彼等の売り物のうちだからです。
プロ野球選手のイ・デホには「クソみたいに足おせーな」とか言ってもいいんです。身体能力を売りに出した人だからです。
東浩紀には「頭悪いよな」「センス外れてるよな」と言ってもいいんです。知性や批評力で売ってる人だからです。


大学で一般女子学生に美人とかブスとか言うのは許されませんが、ミスコンに出場した学生については「3番の人が一番かわいい」「5番の人はスタイル悪い」とか関係ない奴が好きに評価を述べてもいいんです。

3

自分の中の何かの要素を売りにする、何かの分野の競争に参戦すると、その要素・分野については他人にいろいろ品評されるものだし、それについて同意したと見なされるのは仕方ないことです*3。学校での期末テストですら、それを受ける学生達はある範囲の知的能力について優劣判定を受けることに同意しているわけです。


本来人と比べられたり品評されたりしない権利が人間にあるとして、その権利を場面場面で部分的に手放すことに同意していくのが現在のわれわれの社会の中で生きることだといえます。

4

正直宇多田ヒカルの現在のポジションはよくわからないのですが、10代のころから別に容姿で売っている人ではなかった気がします。


宇多田が作曲家・歌手として居るのなら「ブス」とか「劣化」とか言われる筋合いはありません。アイドル歌手だとか美人歌手として居るのなら「美人じゃねーじゃねーか」とか言われても仕方ないでしょう。容姿を売りに出しているのかいないのか微妙なラインの職業というのはあって、そこは難しいと思います。


レスリングの吉田選手に「美人じゃねーじゃねーか」などというのは単なる中傷、完全に余計なお世話です。「タックル速度が劣化してるじゃねーか」と言うのはまあ、言ってもOKでしょう。

 
 
 
 
 

*1:実際にはプロの女優は自分の容姿の長所短所なんかとっくに受け容れて知り尽くしていろんな工夫を開発・実行してるでしょう

*2:OKだからと言ってやたら人を傷つけるような酷評ばかりして喜ぶ人がいたら、それはその人の性格の問題ではあります

*3:滅茶苦茶な悪意を投げつけられてもいい、ということではありません

背水の陣は精神論じゃないけどリーダー論でもねーよ

www.yutorism.jp
これ違う…違うよね?
韓信に対する理解も古代の戦争に対する理解も何もかも



Q.1 韓信は兵士達が信頼してついていくリーダーだった?

結局、人間がついていくのって『この計画ならなんとかなりそうだな』と思える何かか、あるいは『この人だったらなんとかしてくれそうだな』って人なんじゃないの。歴史のどこにも残っていないかもしれんけど、韓信ってそんな人だったんじゃない?それこそがまさに『リーダーとしての資質』って言われるものだと思うけどさ。

ちっげーよ!
歴史の逸話には色んな解釈の幅があるべきですが、井陘の戦いをこういう風にまとめるのは明らかに間違いです。


韓信は偉大な軍人ですが、一般兵士が自分の奇計を理解してくれるだとか(理解出来るわけねー)、いつでも自分の采配を信じてついて来てくれるだとか(そんな好意得るような出自・来歴じゃねー)、そんな甘っちょろいことは考えていません。むしろそこを弁えるのが有能な軍人たる条件のひとつでした。


韓信は部下に対してそこまで期待も甘えも持ってませんし、兵士だって韓信がそこまでの天才軍略家だとは知りません。当時の兵士なんてその日の飯食わせてくれたり略奪させてくれたり運よく勝った時には恩賞くれたりするかもしれないのでついてきてるだけ。資本は自分の命。夢なんか見てませんし、ちょっとやばかったらすぐ弱気になって勝手に逃げます。


つまり軍の末端は

人間がついていくのって『この計画ならなんとかなりそうだな』と思える何かか、

こんな上等なこと考えてないのです。作戦の全体像なんか知るわけもない。目の前の戦況と進め退けの号令だけです。


以上のまとめとして、
A.兵士は韓信のビジョンなど知らず、そういう意味で韓信を信じてもいなかった。
彼等にとっての韓信はせいぜい「割と勝率高い頭目」です。



Q.2 兵士達に韓信を捨てて立ち去るオプションはあった?

例えば『このプロジェクトの納期は全員が本気を出せば達成できるようにストレッチ目標として従来の半分にしておいた!』とか言われたらどう思う?まあ転職活動始めるよね。ほんで、そういったプロジェクトはみんながついていく気をなくして破綻するわけだ。


前のプロジェクトでさ、あるチームの進捗がめちゃんこ悪くて『なんでやねん』とヒアリングしてみたら『きっと破綻すると思って手抜きしてましたわ〜』と言われてがっくりしたこともあったな。

それを例え話として井陘の戦いに当てはめるのも不適切です。
なぜかって言うとまず、井陘の戦いでの韓信軍の兵士には転職活動始めたりだとか手抜きしたりだとかの余地は無いので。戦争だから。しかも敵軍は目の前。


とはいえ敗色濃厚なとき、兵士には「軍を見捨てて給金や恩賞を諦めて勝手に逃げ散る」という最後のオプションがありました。そこで、それをさせないために韓信が実行したのこそが背水の陣です。


敵は目の前、後ろは川。
形勢不利だと戦列がズルズル後退していきますが、後ろが川ではそれは出来ません。
形勢不利だと勝手に逃げ出す個人が出ますが、後ろが川ではそれは出来ません。


このような、片方の軍が瓦解して統率や監視が消滅しても個人がバラバラに逃げる退路すらない場所での決戦は、敗北即皆殺しコースです。*1
状況に気付いたとき兵士達がどう思ってたかって、まず間違いなく韓信にハメられた!」「あの外道!」ですよ。


韓信が有能であろうが無能であろうが、川を背に陣を敷いて、「え?」「え?」って思ってるうちに「ここで決戦する!」「今日は趙軍倒してからメシ食おうな!(自軍3万 趙軍20万)」「ダメだったらまあ全員死ぬよなこの状況!」という狂った宣言をされて、敵が間近まできていれば、もう韓信の作戦の成就を信じて死力を尽くして戦うしかない。



以上のまとめとして
A.兵士達に立ち去るオプションはなかった。気付いた時には勝つか死ぬかの状況。


Q.3 韓信は現代のビジネスで見習えるリーダー?

これは信頼で結束してるのではなく、単に逃げられない状況に追い込まれただけです。
戦後韓信自身が得意げに「投之無所往者、諸劌之勇也」と言っています。現代語訳すると「いい感じに精神調教したうえで逃げ場のない状況に投げ込めば凡人兵士でも超人並みの勇戦をするものよね、孫子にもそう書いてある。」です。


これはらくからちゃさんが力説するような、現代ビジネスシーンで望まれる開明的な良きリーダーと言うよりは、むしろ圧倒的にワタミ寄りですよね。
先進的ビジョンや信頼によってついてきてもらうのではなく、精神的調教と逃げ場を奪うことによって個人個人の力を限界まで搾る。


韓信には勿論「天才的な作戦立案能力」という取り柄があり、井陘の戦いの戦果は同時代の誰にも真似出来ない非凡なものですが、しかし兵士の動かし方という面についてはかなりワタミテイストです。
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つまりまー、背水の陣のエピソードは、正しい理解で引いたとしてもあまり現代のビジネスで引用するのは望ましくないエピソードですよね。
あれの正味は「自分の目的と利益の為に従業員を逃げられない状況に拘束して正常でないスペックを絞り出すテクニック」*2ですから。



以上のまとめとして
A.韓信は現代で下手に見習おうとするとヤバいリーダー。




【総まとめ】現代人が過去の偉人を引く時に気をつけるべきこと

歴史に名を残す偉人はほぼ必ずブラックです。やべえことをした人です。
だって権利意識とか無い時代に競争してるんだから、ホワイトな行動する人が結果を出して歴史に名を残すわけないんですよね。


韓信の悪口みたいなこと書きましたけど、兵士の権利なんか無視するのは当時の将軍全員そうでしょうから、常勝の韓信はいいリーダーだったと思いますよ。全体としては死ぬ危険性少ないし、略奪の機会も恩賞もらえるチャンスも多かったでしょうし。


それぐらい状況も感覚も違うわけですよ。そんな人物や物事のエピソードを現代に持ってきて役に立つわけない。そんなことしてる暇あったらもっと今現在に集中して、現代の(または現代まで残った)学問や知見を取り入れて生きたほうがいいんじゃないかと。




というか、最後に、長々書いてきた私の一番言いたいこと書きますね。




だからもー、軍事や歴史を中途半端な知識や恣意的な理解や強引な理屈で現代のビジネスに絡めようとするの法律で禁止してくれ!



思いつきで共通点捻り出してなんかの真理のように聞かせてくるおっさんリアルで遭遇するけど脳が腐るんじゃ!



です*3





こういうやつね、歴史は歴史、軍事は軍事、何故趣味として純粋に楽しめないのか。

 

楽しい戦争指揮入門の名著

*1:(世界史的に有名なとこではカンネーの戦いとか)

*2:こう書くと「何それ知りたい!」っていう経営者が一杯いそう

*3:らくからちゃさんはまだ若そうだし歴史ネタに興味持ったばっかっぽいし私と同じく歴史引用ビジネスおじさんへの反感があるっぽいけど、なんか結果的に同じ道に吸い込まれてってるように見えた

高畑淳子の会見は個人としても社会的にも正しい

mudani.seesaa.net

純粋に高畑親子の件で言えばこの田房さんの論旨にはちょっと頷けない。


あの会見をしなかったら何がどうなったと?

そもそも高畑淳子が会見をする前から高畑親子が大打撃を受けることは確定してるし社会もそれを知っている。高畑裕太は演劇の道や芸能界で生きる望みは断たれたし、5年ぐらい刑務所に入る。母も姉も日本1有名な性犯罪者の家族として顔を伏せて生きていかないといけない。


あの会見に臨んだ高畑淳子の胸の裡を推測する意味はないが、仮にあれを非常にクレバーに功利的に演じてたのだとしても、あの会見で得られた”利益”は自分への同情と理解を得ること、それによって少しでも自分と娘への余波を減らすということであって、それは犯罪者の家族の権利だ。


少なくとも「裕太が強姦したのはしょうがなかった」とか「裕太のせいじゃない」とかそのようなことは言っていない。

 結局この会見は、24時間テレビとか裕太が「仕事で」迷惑をかけた人たちへの謝罪会見でしかなかった。

被害者についても言葉を重ねていたと思うが、もっと全編被害者に向けた言葉にすべきだったと言うことだろうか?あの会見はマスコミに請われてマスコミ相手に話す席なのに?


あの場で被害者に語りかけ出したらそっちの方が怖いし不適切だし、もしそんな会見だったら田房さんのような人はいよいよ怒ったんじゃないだろうか。


加害者家族・高畑淳子の会見は性犯罪被害者に不利益を与える?

そうだろうか?
高畑親子はむしろ加害者とその家族のモデルケースになったと思う。
変な言い方だが、高畑裕太ほど当人・家族が大ダメージを受けた強姦者はそう居ない。
強姦の下手人はどれほどの報いを受けるのが相場なのか、というイメージを世間に刻み込んだと思う。


同様の被害にあった人やその関係者・弁護士は本件に後押しされて心置きなく厳しく訴えることが出来そうだが。「高畑親子のケースに見る相場に比べ、本件の加害者はまだ全然裁きが足りない」という風に。


そもそも、ある犯罪の加害者やその家族が厳しい報いを受けて苦しむ姿を世間に周知するのは、むしろ古来からある即物的で有効な治安維持の方法だ。その犯罪を軽く考えてる人間が多い時には特に効果がある。「10両盗んだら打ち首になるんだぞ」と広報され実際に下手人の切断された首が晒されれば、窃盗を軽く考える人間は激減するだろう。


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(画像は「麻薬に触ってそうな疑いがあるだけで裁判無しで射殺されるんだぞ」と実際に市民に路上処刑と死体を見せまくって治安を回復した「ダバオのジャッジ・ドレッド」ことドゥテルテ比大統領。)



このような晒し・引き回しの効果は犯罪被害者の立場を有利にする方向へ作用するものであるから(犯罪加害者の権利を軽視し過ぎてるのが問題だが)、

 加害者の家族がどんな風に苦しむのかを映像でハッキリと見せつけられてしまって、これから先、性犯罪・性暴力の被害に遭った時に、遭った人が、この会見の映像や高畑淳子の様子を思い出して通報を躊躇ってしまうことになるのではないかとも思う。

これははっきり言ってかなり論理を捻った上での難癖であろう。


頭悪くない人がねじくれた論理を弄する時というのは噓ついてる時か感情的になってる時で、田房さんはおそらく後者だろう。つまり、この人の言ってることの正味は「被害者は何も語れないのに加害者サイドばっかり苦しみを世間に表現する機会を与えられてて不公平に思うし不快だ」という憎しみや恨みの感情じゃないだろうか。

だけど、本当に、性犯罪の卑劣さを理解していて、被害者もこれから同じ世界で生きていくっていうことがどういうことか分かっていたら、本来、会見はしなくていい、するべきじゃなかったと思う。

結局「卑劣な性犯罪者の家族の分際で世間にペラペラ喋る機会を得てんじゃねーよ」という抑えきれなかった怒りなんじゃないのか、これは。


そうであれば、その感情を、捻った論理の難癖の形で噴出させるのは間違いだし、持ち出す機会の選び方も違うと思う。


「見つめたくない」から性犯罪の根源を扱わない?

 そして、母親に容疑者のもともとの特徴や、性犯罪の兆候などを聞きたがったり、容疑者の性格の“異常性”をことさらに語ろうとする記事がバンバン出てくるのは、「私は加害者になったり加害者の親になったりすることはない」と思いたい、安心したいという心の現れだと思う。

この件に関してはそんなんじゃなくて、「捕まる前から裕太はヤバかった」っていう話題があるからだよね。
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ドラマの共演者はじめ複数の女性芸能人からの「すぐ体を触ってくる」「嫌い」「セクハラがすごい」のようなコメントが発掘されてて、当時はそういうのが「仲のいい間柄のじゃれあい」「調子いいイケメンが振られてて面白い」みたいな処理でバラエティコンテンツになってたけどあれ実はシリアスな危機感や不快感を持ってSOS出してたんじゃないのか、みたいな。


だから報道は「アンタの息子普段からヤバかったんじゃないの」「アンタもそれ気付いてたんじゃないの」「芸能界入る前に問題起こしたことあるんじゃないの」って聞いてたわけ。


あの場で親に聞くのは悪趣味感の方が強いけど(バラエティネタにしてきたテレビ局にも聞け)、セクハラや不快行為を「ネタ」みたいに看過してきた結果が強姦なんじゃないのか?っていう、むしろ性犯罪の根源を(環境の共犯者性含めて)掘ってる質問だったりする。

 性犯罪・性暴力だって専門家達が研究してるのに、なかなかそういう話にならない。性犯罪・性暴力は、自然災害以上に、どうにもならないもの、みたいなことになってる

そもそもワイドショーっつーのは、きちんとした専門家を読んでてきて最新の研究成果を発表させて物事を科学的に究明していくようなもの……ではないと思うが。性犯罪に限らず。

 今こそ、普段、黙らされている性暴力被害者がどういう目に遭っているか、どんな風に裁判が行われるのか、どのように性犯罪はもみ消されているのか、被害の実態、その恐さ、そして性犯罪・性暴力を起こす人たちの実態、更正についてなどをテレビで流すべきなのに、ぜんぜんやらない。たぶんそこは、地震の恐さよりも見つめたくないものなんだと思う。 

「見つめたくない」っつーか、単純にそれ流したって視聴率取れないだけでしょう。被害者サイドだけじゃなく加害者サイドだって、「あの高畑親子の転落」だからコンテンツになってるだけ。


田房さんの主張するように「ワイドショー視聴者が自分に起こりうる脅威を見たがってない」ならば不倫ネタとか原発ネタとかがあんなに数字取れるわけない。


ワイドショーとはそういうもの。
もう言ってることが完全におかしい。

まとめ

この人の問題意識は「黙らされている性暴力被害者」に集約されるのだろうし、それ自体はどこからも何の文句も付かないものではあるけれども、少なくとも今回の高畑淳子の会見に寄せた当該コラムは完全に理屈がおかしい。


社会的弱者を背負う人の言うことであっても、その問題意識が重要なものであっても、理屈や持ち出す場所がおかしいときは話自体もおかしい。
おかしいものには突っ込まないといけないのでこんなものを長々と書いた。








あと…

ドラマに出てる高畑淳子大大大大大好きで、高畑裕太も、出るドラマごとに別の人みたいになるタイプの俳優だなーすごい才能だなーって思ってたから好きだった。

実はここに1番びっくりした。
個人的にはどっちも全然大した役者に見えねー。

山田尚子監督のマイルドな反逆  映画「聲の形」完成披露上映会レポート

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koenokatachi-movie.com
映画「聲の形」完成披露上映会を見て来ました。
ネタバレが大量にあります。
試写会的なもの行ったの何年ぶりだろう。



結論として、なんでしょう。
微妙です。
尖った感想を言いがたい。
凄いよかった!とは言えないですが悪くもなく。

1.改変orカットされた部分

自主映画製作

一切なくなりました。
原作でも存在意義が微妙な部分でしたし、映画に入れるには尺を取りすぎますし、妥当だと思います。

進路関係

一切なくなりました。
映画の中では学年もはっきりしてなかったと思います。原作での進路関係は読み切りから大きくつけたされた部分であり、たぶん原作者の環境の変化によって新しく作られた部分であり、原作者の思い入れの強い部分だと思いますが、しかしここも個人的には切ってよかったと思います。
映画版にふさわしくないと言うより、原作の時点でも、長い期間を掛けて描いた物語特有のテーマの分散・間延びの部分(よくいえばライブ感ですが)になっていたと思うからです。
進学を控えてわけわからんことしてる不自然さもなくなりました。

夜の迷子

硝子は夜道を出歩きませんでした。
元々原作の時点で強引でした。日ごろから家出癖のある妹を、それも家出後数日たってから、雨の振る夜中に突然探しに外へ出る女の子。母親に何も伝え置かず携帯も持たず、0時を回った深夜に町の人けのない場所をフラフラ探している、という不自然な展開だったので。

ハイテンション演出

「命を燃やし尽くしたいと思ってる!」とか言いません。
迷子がないため、夜道での将也と結弦のシーンもぐっと落ち着いた会話になっています。
将也は吠えたりせずボソボソ会話します。(というか映画の将也は全然吠えません)。
原作にはない傘の使い方をし、硝子は全く出て来ません。
硝子達の母のビンタも出てきますが、ローテンションな現実的なビンタです。

ハードだったり暴力的だったりするシーン

このシーンに限らず、原作のハード目なシーンが色々マイルドにされていました。
硝子との再開シーンでも転びません。
結弦はドロップキックしません。お風呂シーンは(妄想も含め)ありません。
「うきぃ!」も止まってる将也にすぐそばで「うき」です。
植野の暴行も静かです。とらどらみたいなグリグリ作画で展開されたりしませんでした。
真柴がパンチしません。

硝子達の母親の過去

一切なくなりました。
まあやってる暇はないでしょうし。
原作でもクリシェっぽくてどうかと思う部分でした。
完全なる悪役でしかない硝子の父親と祖父母達もいまいちで。

小学校担任のクズっぷり

一切なくなりました
原作ではかなり不自然な怠慢とクズさを見せ付けてた担任ですが怠慢描写クズ描写ゼロ。
喜多先生の偽善的な態度と無能さもカット。

結弦と母親の確執

なくなりました。
よく怒られてる、ぐらいで。誤解し合ってるような部分も薄く。

真柴の内面

一切なくなりました
事案にあたるような乱行や暴行も一切カット。
原作でもイベントのためだけのNPCのような、とって付けたような過去と話に都合のよいキレ癖のON・OFFがあり、切られたことが惜しくはない箇所です。

植野関係

色々なくなりました。
小学校時代のいろいろ、太陽女子、佐原との関係、ネコ耳のドアップ、猫カフェでのやりとり、家まで送らせる、家に来る、病室であれこれする、過去の回想。
原作では人気あるシーンも多かったと思いますが、原作で暴れすぎだったともいえるので悪くないかと思います。

硝子が別の学校でも受けてたいじめ

なくなりました

げんきくんやデラックス

そりゃなくなるわ

2.何で残したの?な部分

真柴の存在

内面が全くなくなったので、原作以上にいる意味がわかりません。ほんとに唐突に「友達になりたい」と寄ってきて他意もなく、橋でも「あれはひどいよ」「友達になれたと思ったのに」と常識人過ぎるコメントをして去っていくだけの人です。悪い人じゃないけど、この人何の為に居るの。

佐原の存在

中学時代とか太陽女子とか休日のお出かけとかばっさりカットなのでほんとになんなのかよくわからない人になりました。将也や硝子や結弦達と橋でだんだん仲良くなる過程もほぼ描かれず。原作では作者の思い入れ(美術的な手に職でのし上がる…)が暴走気味だったのに対し、映画ではかなり要らない子に。

結弦の不登校とか

母親の無理解とか確執とかがなくなった以上、やる意味ないですよね。まああっさりしてましたが。

西宮祖母の死

同じ理由で、別に生かしてもよかった。葬式のオリジナルシーンがやりたかったのかな。

170万を燃やす

原作でも本筋にあまり関係ないシーン。映画は将也母にウエイト置きたかった?

にゃんにゃんカフェ

原作と違い何も起こらないので何しにいったのかわからない。

飛び降り自殺関連

無駄にハイテンションなものやいたずらにハードなものを除く、というところに唯一製作者の方針みたいなものを感じたのですが、自殺はきっちりやりました。
1番要らないとこだと思うんですが。このノルマさえなければ、もっといろんなことを落ち着いた別の形に出来たでしょう。ただこれは「盛り上がりどころ」として商業的要請が強いのかなやっぱ。

3.何の為に足したの?な部分

硝子の右耳聴力が死ぬ

硝子の右耳の聴力が死んでるらしい、という設定は原作でも存在意義がいまいち不明な部分でした。(おそらく将也が怪我させたのが遠因となって死んだ、という設定があって没になったんだろう、ぐらいしか考えられません)何故かそこが掘り下げられ、医師に宣告されて落ち込むシーンが追加されています。

田んぼを自転車で往復するシーン

やたら往復します。ここでリズムを取りたいのかなんなのか。

小学校時代の植野のシーン

原作にある部分が結構切られたのに、なかった部分が色々足されてます。
このキャラが気に入ったのかな。

4.監督は原作にあまり感心しない?

なんだろう、山田尚子監督は実は原作を好きじゃない、ちょっと嫌いぐらいなんじゃないかと言う気がして来ました。すごくクールな目で素材として見詰めてると思います。

原作のあくの強いとこ、ちょっと下品な展開とか、読者を嫌な気分にさせて関心を引き込むようなテクニックとか、そういうのを片っ端から脱臭してあるんですよね。サラッと見られる聲の形になっています。鳴り続けるピアノとともになんか回想される遠い幸せな記憶と言う感じ。全編に渡って。

台詞も結構細かく変えるし、原作を一旦殺して自分の慣れてるやり方でやり直すような作り方。「お前のやり方は下品なんだよ!こうだ!」ぐらいの感じを演出にも脚本にも感じました。

原作の匂いを再現する気は薄いですね。自分のノウハウに強い自信とこだわりがある。細かく付け足されたものが多かったのは植野ですが、ただカットされた真柴や佐原と違い、意思を持って別の物に入れ替えた感があります。「いまの女子高生はもっとこういう喋り方をするんだよ!」みたいな。「硝子と仲良くしなきゃいけないって理由はないだろ!」とか。

いや、やっぱり監督は原作好きじゃないんだと思うなあ。好きだったらこれだけ「それは違うよ」という声だらけの映画にはならない。

私は原作に最終的には色々疑問や不満をもった一方、少なくとも絵や芝居はかなり好きなのですが、いろんなシーンで仕草や芝居がこつこつ変えられていて、そういうとこもほんとうに、再現する気なんか全然無いなと。

5.結局何に焦点を絞ったの?

単行本7冊分の漫画を約2時間の映画にするのはそもそも企画の時点で無理はあります。
である以上は、劇場版をきちんと独立した作品として成立させるためには、監督に明確な方針と決断が必要でした。「ここを大事にするぞ」「ここはガッツリ切るぞ」という。


結構切ってますし、変えてますし、細かい1個1個のレベルに「そのやり方は私は好きじゃないな!」みたいな監督の声は確かに感じたのですが、全体として何を描くからここはカットする、とか、全く新しい物を作る、とか、そういう意志や決断は感じませんでした。権限的にそんなことが出来るのかも謎ですが。

6.明確に欠点と言えそうなところ

やっぱり駆け足駆け足

そういうわけで、細かいカットや改変の意志は旺盛であるものの、大きいカットや改変はなにもないのが映画「聲の形」です。
だからとにかくシーンの繋ぎが駆け足。溜めるシーン入れてる場合じゃないし。カットの中でも掛け足。喋りだす前に言いよどんだり喋り終わったあとにカメラが回り続けたりするような余白や余韻は乏しいです。どんどん動くし気まずいシーンもみんなどんどん喋る。シンゴジラみたい(言いすぎ)。
ここはやっぱり欠点と言っていいと思います。より大きいカットと再構成をする決断が必要だった。

原作の省略のよさは死んでる

原作は「主人公か結弦の主観の届かないところは描かない(だから主人公と結弦以外はモノローグも出ない)」という面白い試みで描かれた漫画でした。かなりの部分を読者に想像させる仕組みがあった。映画でそれを再現するにはまた少しアイデアが必要でしたが、そこが取り組まれなかったのは残念だと思います。視聴者に描かれていない部分を色々想像させるような工夫は全くありませんでした。むしろたまに必要性の不明なことを説明する(猫カフェで慌てる植野とか)。

7.まとめ

なんでしょう。あんまりまとまりません。
映画で原作にない出番がつけたされてたのは主に永束くんと植野でした。
やっぱり動かしやすいんですかね。というか他のキャラがよく考えると究極的には実は居なくてもいい感じなんですよね。原作の時点から。
これ原作未読でいきなり映画見た人は理解できるのかな。
真柴とか佐原とか意味がわからないんじゃないだろうか。川井はエグみの意図的脱臭の影響をもっとも強く受けてるので、映画だけ見た人からすると普通に善人サイドですよね。


とりあえず備忘的なメモと、書きながら考えたまとまりのない雑感です。
後でもう少しまともな感想や考察の形で纏められるかも。



 
ファンブックって何か新しい情報が入ってるんですかね?

星島貴徳はアニメや漫画に影響を受けたのではない

anond.hatelabo.jp

アニメや漫画の影響ガーのような話題になった時にあまり星島貴徳が話題になることがないんだが、なんでだろう。
鬼畜系の同人も描いてた人が影響を与えられていなかったとは考えにくいし、限りなく黒に近いと思うんだが。

なんで話題にならないかというと、単に扱いかねるからだろう。
オタク達からもオタク有害論の人達からも星島は理解を超えていた。
ワイドショーでもあまりに猟奇すぎる欲望は見世物に出来なかった。
この書き手が星島を扱えるのは、星島のことを全然知らない&ボンヤリとしか覚えてないのにあやふやな認識で手を触れちゃうただの馬鹿だからだ。


そもそも星島の性嗜好は「女の手足を切り詰めて無力化してから仲良くセックスしたい」というものだった。”だるま”と言ってたと思う。「アニメや漫画の影響」って、そんなアニメや漫画がどこにある。バイオレンスジャックだって首輪付けて散歩までしかしてない。


エロ漫画にすらそんなの無い*1から苦労して自給自足になったのが星島だ。ニッチ過ぎる性嗜好を持った人間はリクエスト魔になるか自分で描いて交換するかしかない。かつては星島と出世前のマサオが仲良くグロいエロイラストを投稿して交流してる掲示板があった。今や1人は無期懲役で1人はぬりえおじさんだ。どっちも墜ちてるからコントラストが無い。




アニメや漫画に影響受ける人間なんかいくらでも居るだろうが、なんでよりによってその例が星島。チョイスのセンスが絶望的に無い。
星島は漫画やアニメで刺激してもらえる種類のものとはかけ離れる欲望持ってたから自分でイラスト描いたり乏しい同好の士と交流を持ったりした末に犯罪に手を出した。


あの性嗜好は完全に女性恐怖の産物で、星島も公判で「体に大きな火傷痕があって嫌がられるだろうから対等に付き合えないと思ってた」のようなことを述べている。
精神科医がどういうか知らないが、ネットでいろんな人間を見たり話をしたりした結果の個人的感覚では、変態的欲望をある程度上手い自作イラストにして恒常的に創作する人間は自分の倒錯傾向やその根源を自覚して楽しんでることが多く、だから事件や事故は起こしにくいと思っていた。


星島は頭が悪くなかったし、自分の内面にも自覚的だったと思う。火傷痕が自分の欲望や恐怖に関係があるというのも事件を起こす前から知っていただろう。それでもああいう形になったのは性欲が強すぎたからだと思う。星島は1日に5回以上自慰をしているとどっかで言っていたから。



ついでに言えば星島のお気に入りキャラはアニメキャラでも漫画キャラでもなく、2KたんというWindowsOSの擬人化だ。
外見も内面も厳密な設定がなく、描く人間が自分で自由に設定する方式のキャラだった。

*1:厳密には1人そのシュミの作家はいたがあまり多作でないうえ他界済み