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「ただイケ」を認められない人達

1. 何故女性は自分のルッキズムを認めたがらないのか

異性を容姿で判断してる割合が高いのは、脳科学的に女性でなく男性のほうなんだけど…という疑問。

このソースすら示されない怪しい「脳科学」に偽科学狩りの好きなはてなーが誰一人としてまだ突っ込んでないのは意外に感じる。 

一方、「ただしイケメンに限る」は、とても頻繁に聞く。己が異性を容姿で判断しているから女性もきっとそうなのだろうという想像力のなさがそう言わせる。

残念ながら動物というのはオスもメスも等しく異性の容姿を見る。
本来畜生の世界などはオスの容姿が重要でメスは逆に地味だ。
女性は少なくとも男性と同じぐらいには異性を容姿で見ている。
でなかったらイケメンアイドルとかイケメン歌手、イケメン俳優というものが古来太いビジネスとして存在してきた理由もわからない。


そこで前から不思議なのはむしろ、どうして女性はこの点を無理矢理強弁してまで否定したがるのかと言うことだ。
この記事ではそこを考えてみたい。


2. ルッキズムは必死に否定するほどのものか

そもそもルッキズムと言うのは否定されなければいけないだろうか? 
我々凡人は動物として生きているので、見目いい異性に目を引き寄せられるのは当たり前のことだ。美形とそれ以外とで差別するのだ。 綺麗な風景や絵に惹き付けられるのはよくて、綺麗な異性だとダメか?それは理屈に合わない。 歌や劇でロマンチックな場面を演じる役者には当然見目が問われる(男女とも)。


我々みんなどうせその程度の生き物なのだから、最低限人間として必要なのはむしろ自分の目や心がどのように動くのか気付いて自覚し気をつけることのほうではないだろうか。



私は自分が美人を不美人より好むと認める。
見てて楽しいのは美人の方だ。
悪いことはしないので透明人間になって思うさま美人を観察する権利が欲しい。


自分のそういう感じ方を自覚し認めたうえで、よくよく気をつけて避けなければいけないのは、美貌と切り離されるべき分野・場面で美人に加点したり、不美人に不当な不利益をかぶせたりしてしまうことだ。そこを頑張って気をつければ、社会的な差別はしないですむかもしれない。


だから「自分には異性を容姿で見る傾向はない」なんて言う人間は全く信用ならない。その人間は殆どの場合、自分自身について嘘つきか鈍感だからだ。



3. 嘘ついてまでルッキズムを否定する理由

「ただし美女に限る」という言葉、これは女子は言葉にしなくてもよく知っている。この世は可愛い子が得するということを幼少期から叩きこまれてあきらめている。

残念ながらその通りだろう。ただ、それは男女で事情が変わるわけではない。美男とブ男が同じ人生を歩むわけない。

似たような意味の「可愛い子は得よね」は、容姿でえこひいきする男性ではなく、得をしている女性を叩く言葉である。

ちょっと不思議だ。
何故美貌で得する同性を叩くのかわからない。
偉そうに言うことだろうか。汚点として気まずそうに懺悔するならわかるが。



結局この人は「ただイケ」論者に負けず劣らず、残酷なルッキズムに対しての被害者でいたいのだ。そして自分の被害者としての地位や権利を疑わないことといったら「ただイケ」論者以上だ。
だから美貌によって利得を積む同性を叩くのを(人目を気にして取り繕うことはあっても心底では)当然だと思っているし、一転男性を見る時のルッキズム加害者・加担者としての自分を絶対に認められない。*1



ただしイケメンに限る」と言う男達は、まさか「おれは女の容姿なんか気にしないのに」とは続けないだろう。
だが、「ただイケ」に抗議する女達は「私は男の容姿なんか気にしないのに」と続ける。
並べてみればまだ誠実なのは前者の方だ。
後者には根本的に欺瞞がある。

*1:なんかこの辺は自称弱者女性(フェミニズム)が自称弱者男性(ニューカマー)と対立して占有被差別者シートを争うアレと似ている